さぃもんす

美しい星のさぃもんすのレビュー・感想・評価

美しい星(2017年製作の映画)
2.7
人にこの映画はどんなだったと聞かれたら私は「スピリチュアル」だったと答える。スピリチュアルとは一般的に、「霊的であること」を意味するが、日本は目に見えないものを信仰する風土であったため、スピリチュアルという概念が「精神の世界」としている。この映画は「宇宙人から見た人間世界」がテーマだ。精神の世界を表し、役者はその中で生きる人々を演じていた。

監督のこの映画に対しての熱量を感じられるも、この映画を理解できた者は少ないと思う。原作は読んでないが、美しい星は1962年に発行された小説だ。50年近く映像化されなかったということは、大人たちが映像化するのは不可能だと考えたからなのだろう。だが、吉田大八監督はそれを覆し映像化した。誰もやりえなかったことをやることは凄いことだと思う。
前にも言ったかもしれないが、自分がやりたいことだけをやっても観客を置いてけぼりにしてしまう。本作はGAGAの作品なので制作費がかかっていたためか映像自体に見るに耐えないことはなかったが、役者の顔ぶれありきかなとも感じた。(亀梨ファンは必ず見るであろうから。)

とりあえず気になったシーンから。あれは演出なのか偶然なのかわからないが、重一郎が風邪薬を飲むシーンで用量は2粒なのに3粒出してしまい1つ戻すところがリアルで面白かった。また重一郎が玲奈にキスからビンタされるシーンで、重一郎が舌を入れようとしたのか口を開いていた。あのなぜ玲奈はキスしたんだ?というシリアスなシーンで口開けないで欲しかった 。

火星人と水星人と金星人と地球人。地球外生物の3人に触覚が生えて来たり銀色になったりしないのはSF映画としての類にしたくなかったからだろう。だが火星人が赤色で、水星人が銀色で、金星人が金色にさえすれば、その人が何人なのか一目瞭然である。肌の色をそうとしなくても、服や爪(マニキュア)で表現することは可能である。覚醒した時点でなにか変化がある方が見る側からすればインパクトが強くわかりやすかったのではないかと思った。
人間なのか宇宙人なのか。宇宙人なのか人間なのか。いままでずっと人間として生活して来たのに、今日から私は火星人だ!と言ってもやはり人間的な生活をするし日本語は喋るし、何1つ変わらない。特殊とされた火星人のポーズだってあの程度の動き普段からするし、金星との交信もただの宗教活動にしか見えない。水星人にいたってはこれといって何かあるわけでもなかった。

この映画は世間的には評価が高い。私は人がいいと言うものにはケチをつけ、人があまりと言うものを好む。これは小さい頃からだ。それがいいのか悪いのかはわからない。ショートムービーの撮影が7/1.2とあるが本を読んだ現時点では全く面白いと思っていない。私は別の人が書いた作品が良かったが、ほぼ満場一致で今回の作品に決まった。今はまだ授業だが、これが仕事になったらケチをつけている暇もなくそんな権利もないこともわかっている。6月23日の演出基礎の授業で、演技の付け方を初めて目の当たりにし難しさを感じた。またliveの楽しさ、考えていたものが崩れてより良いものが出来るということも知った。今回のショートムービーで作り手側の楽しさや苦労、役者とのコミュニケーションを知ったらまた映画の見方が変わるのかなと思っている。
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