三樹夫

ドラゴン・タトゥーの女の三樹夫のレビュー・感想・評価

ドラゴン・タトゥーの女(2011年製作の映画)
3.9
ドラゴン・タトゥーの女、ドラゴン・タトゥーの女。とんでもなくカッコいいタイトルで何回も繰り返したくなる上に、とんでもなくカッコいいパンク主人公の映画だ。
名誉棄損で訴えられ肩身の狭くなったジャーナリストが富豪から依頼され、40年前に失踪した少女の調査を行っていく。調査を進めていくうちに少女の失踪が連続する女性の猟奇殺人と関連していると考え、天才的なハッカーに協力を求め一緒に調査を行う。

監督はフィンチャーで、連続猟奇殺人、金持ちの一族、探偵、孤島と北欧の横溝正史かみたいなミステリー要素は満載なのだが、この映画はミステリーとして作られてはいない。フィンチャーはミステリーに興味はなく、別の映画として作っている。
この映画は男性社会で抑圧される女性の反抗という映画だ。クズ弁護士が出てきてリスベットに加害を加えるが、このクズ弁護士が何を表しているかというと、女性を支配し搾取し弾圧する男性をクズ弁護士に集約している。後見人という立場を利用してあの手この手でリスベットを支配しようとし、性的な加害を加えて、挙句送っていこうかと自分の加害性からは目を背けようとする。このクズ弁護士が言う協調性やコミュニケーションは何を意味しているかというと、自分に愛想よく振る舞い心地よくしろということだ。所謂女性への笑顔の強制のようなことを意味している。『キャプテン・マーベル』が笑顔がない、不愛想と叩かれたように、何故か女性は笑顔でいることを強制される。イーストウッドとかは仏頂面でも叩かれないのに。女性は男性を喜ばせるための存在として扱われ、女性は男性を喜ばせるための存在ということを内面化している男性から出てくるのが笑顔の強制だ。笑顔の強制については、キモがられていることを認めたくないという心理もあると思う。無理やりにでも相手を笑顔にさせて俺はキモがられていないと安心している。クズ弁護士は初手から支配しようとしてくると完全にキモくて、リスベットが嫌がっているのは明らかだが、協調性やコミュニケーションとか言って自分への好意を示すように迫ってくる。クズ弁護士は現実にいるような男性の集合体になっている。
リスベットが事件の調査に加わることを決断するのは女性への連続殺人というのを聞いたからで、また調査している事件は女性がレイプされ殺さるということからも、男性社会の中で女性が抑圧され、反抗する女性の映画というのが分かる。小説の原題は「女たちを憎む男たち」というのも分りやすい。
何故フィンチャーがこの映画を作ったのかという一つの理由を推察するに、『ファイト・クラブ』が男性主義や女性蔑視と叩かれたことがあるように思う。私も『ファイト・クラブ』は反資本主義なところには思いっきり乗れるけど、ホモソーシャルなところは拒否感を覚える。『ファイト・クラブ』が叩かれて、たぶん反省したんだろうね。この映画作って、次は『ゴーン・ガール』だし。ただ『ゴーン・ガール』も女性蔑視なシーンがあると叩かれてはいるけど。

この映画で一番いいのはリスベットで、パンクファッションにバイクで移動して、全身黒、フェミニズムの闘士ともの凄いカッコいい。最初はモヒカンで現れるが、男性社会に対して中指を突き立てているようだ。
映画化にあたって主役のリスベットをめぐり役者の中で争奪戦となった。スカヨハ様はこの役を凄くやりたかったらしいが、小柄で痩せ型のリスベットとはどう考えても違う。他にもジェニファー・ローレンスやナタリー・ポートマンが候補としてあがっていた。

映画が始まって話がポンポン進む編集により勢いよく物語が進行していく。ミステリーに注力していないのは、あまりにも勢いよく話が進み人物関係や調査の把握が難しいことからも分かる。
劇中でもの凄い上手いエンヤの曲の使い方がされるが、これはダニエル・クレイグのアイディアとのこと。対位法ってやつだが、映画におけるエンヤの使い方ってこれが正解なのでは。エンヤの曲って特徴的で一発でエンヤって分かるけど、10秒ぐらいでお腹いっぱいになるというか5分ぐらい聞いていたら狂いそうになるというのを上手く利用したいやらしい使い方だった。
ロケは冬のスウェーデンで行われており、ほぼずっと曇天なのも陰惨な雰囲気を醸し出している。スウェーデンの街中をトライアンフで駆け抜けるリスベットがカッコいい。
三樹夫

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