なっこ

しゃぼん玉のなっこのレビュー・感想・評価

しゃぼん玉(2016年製作の映画)
3.1
地方と都会

老から若へ

そういった対比の強い作品。鄙びた土地を舞台に選んだことで、その村が桃源郷のような、隔離された世界、まるで昔話のような存在の村として存在し、現代のおとぎ話のようにも感じられた。

村の人たちが心待にしているお祭り、“平家まつり”のお話も、物語の核として重要な語りを担っている。那須与一の弟と鶴富姫の悲恋の物語は、日本の昔話のよくあるパターンのひとつ、土地の姫(女)が異郷の男(やってきた男)と子をなし生き別れる話。懐かしく馴染みのある物語。それが坊の人生とも重なっていくところが面白い。

都会には人と人の確かなつながりをブツブツと切ってしまう怖さがある。他人を血の通った相手だとは思えなくなる怖さ。それは、そう生い立ちも何もかも知らない相手ばかりに囲まれて生活していれば、そんな興味もわかない、そうなれば好意を抱くこともない。そういう当然の成り行きのようにも思える。

市原悦子演じるばあちゃんの掛け値無しの優しさが坊を変えるというよりも、実はきちんとその優しさに報いている彼自身の自然さ、本来の人間的な反応に戻っていく過程がうまく描かれている、と感じた。ばあちゃんには、出会ったその時から坊の底にある優しさを信じる強さと愛情深さがある。

よく眠り、その土地のものを食べ、その土地の恵みを自分の足で探して、得る。耕す人、採る人、狩る人。すれ違う人がどこの誰だかわかった上で交わされる挨拶。そういう生活から、多くの人が遠く離れている現代。坊の親の世代には、そういう生活は古く、窮屈で、洗練されていないと捨てられ、絶たれたのだろう。坊は親しか知らない。家族には遡っていける物語がそれぞれにあるはずなのに。

映画の中で、坊の肉体を通して、疑似体験する田舎の生活に、都会ですり減らしていた人間らしさが私たちにも戻ってくる。朝靄の美しい山々の姿。とっぷりと暮れる闇の深さ。近しい人間関係の中で起きる摩擦。それによって起きる感情の強さ。

これが最後の出演作となった市原悦子さん。

日本昔ばなしの語りに耳馴染んでいた私は、彼女の声の素晴らしさや演技のすごさが全くわかっていなかった。当たり前のように受け取ってきてしまった。失われて初めて分かる、唯一無二の存在感。懐かしさや、まるごと愛されている感覚を与えてくれる深さのある語り、それはもう私の心の中にしか存在していないのだと分からせてくれるラストシーン。外側からしか捉えていないカメラのその先、建物の内側で起こるであろうドラマは、多分誰もがきっと同じ映像であるだろうと思う。

素晴らしい俳優と日本の美しい景色を伝えるステキな映画です、ぜひ外国の方にも観ていただきたい作品だと思いました。
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