このレビューはネタバレを含みます
どうやって語ればいいかちょっとわからないな…ホドロフスキーみたいな。
前半の美化された少年時代が描かれた後、メタフィクション的に寺山修司が登場し、後半では自分も作品の中に入って本当の少年時代をみていく。「親殺しのパラドックス」の謎を解くため、寺山は母の元を訪れ、一緒に飯を食っていると、背景が倒れ、新宿の街中でテーブルを囲いながら食事する二人が描かれてエンド。
寺山の原体験とトラウマを、映画を作ることで消化(昇華)しようとしていたのであろう。
ちょうど次の日授業で寺山修司の『浅草放浪記』をやったが、見世物小屋の話が出てきて、繋がるなあと思った。