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ソラヤ・Mへの投石の映画情報・感想・評価・動画配信
ソラヤ・Mへの投石を配信している動画配信サービス
『ソラヤ・Mへの投石』の
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動画配信は2025年3月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
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目次
ソラヤ・Mへの投石が配信されているサービス一覧
ソラヤ・Mへの投石が配信されていないサービス一覧
ソラヤ・Mへの投石の評価・感想・レビュー
ソラヤ・Mへの投石が配信されているサービス一覧
『ソラヤ・Mへの投石』が配信されているサービスは見つかりませんでした。
ソラヤ・Mへの投石が配信されていないサービス一覧
『ソラヤ・Mへの投石』に投稿された感想・評価
まりぃくりすてぃの感想・評価
2021/05/08 21:22
4.5
1986年8月15日、ソラヤ・マヌチュリというイランの35才の既婚女性が “不貞” の罪(☜悪意ある夫によるデッチ上げ)で村人たちによって腰から下を埋められ、長時間にわたって石打ちされて死んだ、という実話(当地でソラヤの叔母から直接打ち明けられたというイラン系フランス人のジャーナリストが1990年にノンフィクション小説として発表。国際的にベストセラー)を、イラン系アメリカ人たち(ホメイニ革命時にカリフォルニア等に移り住んだ芸術関係者や資産家らとその子女たち)がアメリカ資本の助けを借りてペルシャ語映画化。撮影はレバノンにて。
Taste of Cinema の「最も恐ろしい非ホラー映画」第20位に選ばれたのが妥当かどうかはともかく、最後は石打ち、とわかって観てるからドッキンドッキン。観てる最中よりもむしろ、鑑賞後何日経っても石打ちの光景が頭から離れなくなって連日石打ちやイスラム教について調べたくなっちゃうのが派手にツライ。
道端で小石見ただけで私はソラヤさんの痛みを連想するよ。(映画のラスト、彼女の子供時代の実際の写真が一枚だけ出てきてしんみりさせる。)疫病とか五輪とか今さらながらまったくどうでもよくなる。The Rolling Stones も当分聴く気にならない私かも。女に生まれたことが呪いでしかないという状況にひたすら耐えさせられてる人たちが現に何千万人~何億人もいるんであろう地球。死の星。吐きそう。。
ところで私は、小学生の時に某キリスト教でガールスカウトみたいな子供キャンプに参加させられ、お祈りしたり合唱したり飯盒炊さんしたりしたことがあるが、その時、川原で、向こう岸に立てられたサタンの看板に少女みんなで小石をぶつけてサタンをやっつける、という作業を引率の大人にやらされたことがある。
私は、小石を拾って思いっきり向こう岸に投げた。つもりが、、、すぐ前にあったのは別の少女の頭だった。私の石は、彼女にぶつかった。彼女は痛そうにふりかえって「『人の後ろからは投げないで』って最初に言われたでしょ。ちゃんと聴いてなきゃダメでしょ」と私を睨みつけて叱った。私は謝った。
名前も知らない別班の彼女とは、それきり接触してない。その後死んだかもしれない。。。。。
[Youtubeでインドネシア語字幕版を全編観れます。英語字幕の上にインドネシア語が重なっちゃってて日本語訳はないけど、脚本がシンプルなので八割方理解可能。このレビューの一番終わりに詳しめのあらすじ書いておきますので、視聴のご参考に]
事の全貌をまっすぐ伝えるのが作品の主眼だろう。映像表現的に特には技はない。美しいソラヤ役とその叔母役(☜こっちが主演扱いらしい)の渾身の演技がずっしずっし重たい。
虐殺の全計画者・夫は(相棒とともに)まったくブレない悪者。ギャング映画の幹部役と同じで、ハリウッド的善悪二元論(それはペルシャ伝統のゾロアスター的でもある?)を少々意識させてくれちゃう。
キーパースンである気弱な男やもめ役のプーさん顔と、子役たちの慎重な頑張り(特にプーの息子の)が女優たちの魂の叫びに “小花を” 添えてた。
主要俳優らは、実際の石打ち動画をトラウマ覚悟で見て撮影に臨んだという。「この映画の石打ちシーンは事実通りです。上映中、退出者が続出しましたが、実際の映像のほうを見たら皆さんは気絶するでしょう」と叔母役は語ってる。
でも、出血量頼みの演出が私には全然物足りなかった。プロボクシング史上最凶悪反則試合のビリーコリンズjr事件(綿を抜いた素手同然のグローブ+石膏バンテージで10回判定負けまで打たれつづけて、失明~自殺)の試合直後のコリンズの写真とか見ればわかる。両目が腫れ上がってオバケになるのはまずは必須。「そろそろ日が暮れてきました」の頃には鼻なんか潰され砕かれ、耳も千切れ、顎も頭もパックリ割れまくって、いや、割れるなんてもんじゃなく肉が飛び散ってなきゃ。顔としての原型なんかとどめていちゃいけない。人形を使ってでもそこまで描いてこそ、この石打ち映画をコーラン(や旧約聖書のバカバカしい申命記)に代わる聖典にできる。イランやサウジやブルネイやソマリアやスーダンやアチェ州のキチガイどもに見せつけてやるための!
だから、映画を作る以上はもっとやってほしかった。グロいとは思わなかったもん。途中退室する人は、そもそも石打ち映画なんて観に来なきゃいいのに。何が起こるかはわかってたでしょうに。
でも、本作の石打ちは、グロ部分よりも、誰と誰と誰がどういう順番でどんなふうに投げたか、という精神ドラマ部分がいくらか深かった。事実の通りなのかどうかは知らない。
石打ち翌日のサスペンスは、フィクションだろう。ともかくもイランの田舎の片隅の虐殺事件は多少以上鮮やかに世界に伝わった。第二第三第四…第百のソラヤがその後も(それ以前も)アジア・北アフリカのどこかで生まれては殺されを繰り返してるらしい現状は、ネットにいろいろある。
ちなみに、女性が主に極刑処罰される “不貞(姦淫)” とは、性行為にまったく至らない「見つめる」「囁く」「密室(的な場所)に二人だけでいる」程度のことも含まれるらしい。レイプ被害を訴えた女性でも、それがレイプだという証人四人(ムスリムの成人男性に限る)を集めることができなければ、女性側が誘惑した姦淫(+偽証)扱いとなりやすく、既婚女性の場合は石打ち、未婚女性の場合は鞭打ち百回(☜一回でも死ぬほど痛いらしい)。
サスペンス部分を担う、フランスからのジャーナリスト(原作の著者役)は、イエス・キリストの凄惨な虐げられを『パッション』で演じぬいた男優だ。風貌が、イエスっぽい。(☜本当のイエスは全然違う暑苦しい冴えない顔立ちだったらしいけど、まあそれはそれとして。)イエスといえば、“姦淫”した罪で石打ちされそうになってる女性を「汝らのうち、心の中で姦淫をしたことのない者が最初に石を投げよ」という名セリフで救った逸話が有名。そんなのもあって、「イスラム教では石を投げちゃうんでしょ? キリスト教では投げないからね、フフフッ、我々のキリスト教は愛の宗教だからね。フン、テロリストどもめ」みたいなマウンティングを狙った製作者たち???という疑念も一瞬。
そういえば、最ラストの叔母がチャドル広げて悪人たちの前に立ちはだかる姿も、十字架を想起させる?
キリスト教って、むしろイスラム教の何十倍も虐殺ばかりやってきた印象が強いんだけどね。4世紀のヒュパティアの貝殻皮剥ぎ虐殺。11~13世紀の十字軍の残虐行為。17世紀に最盛期を迎えた魔女狩り。そして近年、ローマ教皇やキリスト教原理主義の連中が中南米諸国や米国やアイルランド等々で執拗に人工妊娠中絶妨害を繰り返して女性に無用なストレスを与えてくれちゃってる。(アメリカのテキサス州では、中絶した女性は死刑だとさ。2020年より法案準備中。)
私は、イスラム教にもキリスト教にもユダヤ教にも仏教にもヒンズー教にもそのほかにも「偉そうに『神の道』を他人に説いたりする前に、まずは『人の道』をしっかり生きろ。『自分がされたくないことは人にしない。自分がしてほしいことをできるだけ人にしてあげる』が人としての基本中の基本だ。そうして人の正道(まさみち)を歩んで、それでもなお余裕があれば、初めて神のことを考えろ」と説教してやりたい。
私たちには、獣の道と人の道と神の道という三つの道がありうるのだけど、人なんだから、まずは人の道をちゃんと歩けなくっちゃね。石打ちやめろ! たとえ本当に不倫のセックスしまくってる男女であっても、それでも殺すことないでしょ! そんなに石ぶつけたいなら自分で自分に石いっぱいぶつければいい! きっと気持ちいいよ、キチガイさん!
ところで、この映画の原作ストーリーがどこまで事実通りかといえば、通報者(叔母)の身の危険とかを考えると多少は別話になってるでしょ、と思う。細かい部分は創作かもしれない。でも、芯の部分に創作はないはず。
夫がほかの女と結婚したくて妻を邪魔に思って、妻の姦淫をデッチ上げて、まんまと妻を捨てる────それとまったく同じ手口を狙ったイラン人の男を私は身近に知ってる。私は私の身内がイラン男性と結婚したため、その婿さん以外にもいろんなイラン人と知り合う機会があった。(叔母と彼はうまくいってるが、ただ、たまに夫婦喧嘩の時にDVになったことはあった。周りの者が「ここは日本だから。そういうことは許されないから」と諭して、今ではまったくそういう事態にはならない。)そして、私が何度も喋ったことのある別の某イラン男は、せっかく某日本女性と結婚したのに、夫婦仲がすごく悪くなって、しばらしくして「妻が浮気してる」と言い始めた。「妻は夢遊病に罹り、罪の意識がないまま、私の留守中にいつも別の男を家に引き入れてセックスしてるのだ」と。ヘンテコな「証拠」も集め始めた。誰もそんなの信じなかった。有利な条件で別居したり離婚したりするために、狂言を始めたのだ。。 そういうのを私は実際に見て聞いて知ってるから、そういう手口がイラン男性のスタンダードの一つなんだとずーっと前からわかってる。この映画の凶悪な夫と同じだ。
(レビューみたいの終わり)
◆◆必要な人用あらすじ◆◆
(ネタバレです!!)
“コーランを声高に叫べば悪事を隠せる、と思ってる偽善者のようにはふるまうな”(昔のペルシャの詩人の言葉)
フランスからの従軍ジャーナリストが車のトラブルで村の整備場に立ち寄る。そこでザーラという女が近づいてきて(ほかの誰にもわからないようにと)英語で話しかける。聖職者や村長は、彼女を追い払いつつ、ジャーナリストに親しみを示す。「フランスから来たのか? ホメイニ様の住んでおられた国だ。仲良くしよう。この村でゆっくりしていけ」「せっかくですが、車が直ったらすぐ発ちます」
ザーラがこっそりジャーナリストに再度近づき、彼を自宅庭に招く。女児二人が怯えるが、ザーラは「大丈夫。この人はお客さんよ」。未亡人であるザーラは、「この村で昨日、恐ろしいことが起こったのです。あなたは世界にそのことを伝えてください」と告げる。彼は録音機にスイッチを入れる。
告白内容は、ザーラの姪であるソラヤの件だった。
結婚20年の妻ソラヤには4人の子供がいた。夫アリにはいつも暴力を振るわれていた。
刑務所の看守をしてるアリは、医者である政治犯死刑囚に賄賂をもらってその家族らと面会などさせてやってるうちに、死刑囚の14才の娘を好きになり、結婚願望を抱く。娘は、アリの言うことを聴けば父親の命を救えるかもしれないから、アリになびいている。だが、アリは二人の妻を養う経済力はなく、ソラヤに一方的に離婚を持ちかける。もちろんソラヤは拒否。
村の聖職者ムッラーは、じつは元囚人だった。アリは「俺の言うことを聴かないと、お前の過去をみんなにばらすぞ」と脅して、ムッラーを利用し、離婚に協力させようとする。
ムッラーはソラヤに会いに行き、離婚を承諾させようとする。ソラヤは拒否。そこに叔母のザーラが来て、ムッラーに「出ていけ」。
家族での食事中、アリはソラヤに(聖職者への非礼をなじりつつ)離婚の件をまた持ち出す。息子二人を連れていき、娘二人は置いていくという。ソラヤは怒る。長男は既にアリの味方だった。アリはソラヤを叩く。ソラヤは娘二人を連れて叔母ザーラ宅に避難。
ザーラは、未亡人となった時に求婚してきたことのある村長に自分が相談してみれば何とかなるかもしれないと思い、ソラヤを励ます。そこに、隣人ハシェムが訪ねてくる。病気の妻の容態が悪いという。
ハシェムの妻は亡くなった。その妻は、ソラヤの友達でもあった。アリの企てにより、聖職者ムッラーがザーラに「ソラヤに、ハシェムの飯を作ってやるよう頼んでくれ」。企てに気づかないザーラはそれをソラヤに伝え、ソラヤは迷わず飯作りを引き受ける。
村長エブラヒムは俗物であり、アリ&ムッラーに丸め込まれている。ザーラがアリ家の離婚問題について頼んでも、乗ってくれない。がっかりするザーラは、「何かアリたちが企ててるのじゃないか」と問うが、村長は否定する。
ソラヤは、捨てられそうになった形見のミシンを取り返してハシェムに渡してあげる(この時、手の先が少し触れる)。また、ハシェムの息子を励まそうとソラヤは父子に道で笑いかけ、声をかけ、息子の顔を少し触る。それらを、窓外など物陰からアリ&ムッラーが見ていた。(もしもソラヤが “夫を裏切った” という証拠を掴めば、彼女を殺せて、そうすれば離婚の場合のように持参金を返さなくて済むし、娘たちの養育費も払わなくて済むのだ。)
ソラヤは、ハシェムが仕事で留守中に早くから来て料理を全部用意するなど献身的だった。ザーラはソラヤに「何かアリたちが企んでいるかもしれないから用心するように」と忠告するが、ソラヤは「まさか夫はひどいことはしないでしょう」と本気にしない。
喪に服してるままのハシェムに、ムッラーが偽証を要求しに来る。「ソラヤはお前の家で寝たか?」と。ハシャムは「知らない。私が帰宅したら、既に彼女はいた」。
車の整備士をしているハシェムの仕事場に、またムッラーがアリとともに来て脅す。「我々はもう一人証人が要る。お前がなれ。もし俺の妻がお前とともに不作法な行いをしたなら、お前もそれを楽しんだことになる。お前も石打ちされる」。さらに、一人息子がどうなるかわかるか、と脅しをかけられる。ハシェムはアリに「何のつもりだ? 神は見てるぞ」「ソラヤがお前のベッドで寝たか言え」「彼女が何をしたか知らない。一度私が帰宅したら彼女が具合悪そうに(うつらうつら)していた。彼女は頭痛だったんだ。夫だったら知ってるだろ?」
アリは路上で妻ソラヤを打ち据えて騒ぐ。「罪人だ!」と。村の女たちも驚き呆れた様子をみせている。「手が触れた。ほほえんだ。囁いた」とアリは妻の不貞を主張する。皆がソラヤを罪人扱い。叔母ザーラが現れて、彼女をかくまう。
村長の前で尋問。ハシェムが連れてこられて「彼女が昼寝していたことはあった」と偽証。ソラヤは「昼寝してる時間なんてないわ」と抗弁。村長は「ハシェム、お前の家で彼女は休息をとっていたか?」。ハシェムは、うなずく。村長エブラヒムはすっかり騙されてしまう。
エブラヒムをザーラが問い詰めるが、既にエビラヒムは聞く耳を持たない。「イスラム法に従うだけだ」と。
村の成人男全員が集まって裁判。ザーラ宅で判決を待つソラヤ。そこに「判決、有罪」の紙を少年が持ってくる。ザーラはサインせず紙を丸める。すぐザーラはソラヤを連れて脱出しようとするが、家は男たちに囲まれていた。革命防衛隊も銃を構えていた。
刑場が用意される。村の少年たちが石を拾い集める。
ソラヤは、幼い娘二人に形見を渡す。
広場にはつるはしで穴が掘られていく。聖職者ムッラーはヒゲを整える。村の女たちは数珠を持って祈る。
ザーラはソラヤに「怖い?」「死は怖くない。死ぬまでの石と痛みが怖い」
そして息子のうち、母を慕う次男が入ってくる。ソラヤは彼を抱きしめる。長男は、弟に「大人の男としてふるまえ」と言い、母を蔑みの目で見る。
ソラヤの髪をとかしてやるザーラ。女二人で最後に歌を歌う。そして、広場へ、ザーラに付き添われてソラヤは自らの足で歩いてゆく。狂った男たちから罵声の掛け声(神への賛美)を浴びながら。
村長が判決を言う。聖職者も、まくし立てる。そこへ、サーカス団が現れる。祭りの前宣伝に来たのだったが、雰囲気を察して、下がる。
ソラヤのチャドルをザーラが外す。「私は泣き叫ばない」とソラヤ。最後の抱擁。そして村長が「最後に言い遺したいことはあるか?」
ソラヤは、「私はあなたたちの隣人で、友人で、母で、娘で、妻です。誰がこれをできますか?」
男たちは「神は偉大なり!」「神は偉大なり!」とわめく。後ろ手に縛られて穴に腰まで埋められるソラヤ。遠慮していたサーカス団が太鼓を打ち鳴らす。
最初に石を持たされるのは、ソラヤの老いた実父だった。彼は「彼女はもう娘ではない。私はもう父親ではない」と言い、石を投げる。言葉とは裏腹に、一個目も二個目もソラヤに当たらない。耐えきれずにザーラが「代わりに私を殺して」と立ちふさがる。老父は「そこをどけ」と言う。だが、三個目も、外れた。
年配の女が「石が当たらないのは、彼女の無実を神が知っているからだ」と騒ぐ。
だが、次に夫アリが憎しみを込めてソラヤの顔に石を命中させる。ザーラは騒いで外へ連れ出される。二個目の石は、額に強く当たる。流血。
次は、聖職者ムッラーの石。ひときわ強くソラヤを直撃。
その次は、息子二人だった。父アリに励まされて。弟は泣く。しかし兄弟でうなずき合って、それぞれの石を母に命中させた。皆でアラーを讃える。弟はうつむきながら、兄は複雑な表情で、下がる。
次、ハシェム。持たされた両手の石を、こぼしてしまう。泣く一人息子に抱きつかれ、息子を抱きながら逃げ去る。
続いて男たち全員で石を投げつける。アリは「さあ、さあ」と皆に石を配って回る。ソラヤの出血量おびただしい。目を背け、嘔吐する村の女たち。
夕方まで続いた石打ち。伏せているソラヤだが、まだかろうじて瞳が動くのを確認したアリは、さらに投げろと皆をけしかける。
ソラヤは死んだ。サーカスの者らが緑の布をかぶせてやる。
息子たちが悲しんでいる。兄は今さら座り込んで泣いている。
女たちが川原まで死体を運び、置き去る。(夜の間に野犬に喰われることになる。)
夜はサーカスで盛り上がる。
それらを「昨日のこと」と語り終えたザーラ。ずっと聴いていたジャーナリストのところに、整備士ハシェムが「車の修理が終わった」と言いに来る。呆れた悲しい顔でハシェムを(まるでイエスを裏切ったユダを見るような目で)見つめるジャーナリスト。録音したテープは無言でザーラに返し、ジャーナリストは整備場に戻る。
彼がジャーナリストであることで警戒し始めている聖職者ムッラーのところに、アリが車でやって来て「政治犯の死刑が執行されてしまったため、俺の結婚話は終わった」と報告しに来る。アリとムッラーの企てを今頃になって知った村長はムッラーを怒鳴りつけるが、ムッラーは「お前も同じだ」と言い捨てる。
ムッラーはジャーナリストの発車を邪魔し、荷物を取り上げ、見つけたカセットテープを破壊する。ジャーナリストは「私は当局に訴えるぞ」。ムッラーは「お前は地獄行きだ」。
隠れていたザーラが、走りだした車に、先ほどの(一旦隠しておいた)テープを渡す。「ソラヤの娘たちは私が面倒みる」と言った。なかなかエンジンがかからず、車が再発進しない。遠くで整備工ハシェムが無事を願って「友達よ…」とつぶやく。革命防衛隊が銃で撃とうとする。そこに、ザーラがチャドルを大きく広げて仁王立ち。「何を恐れているの? 正しいことがなされたのでは? アラーは最も偉大なり! そう、起こったことを世界が知るでしょう。世界が知るでしょう」と。
※ 「諸外国の介入への期待」を示唆する結末には、イラン国内で石打ち根絶の努力が熱心に続けられてきたこと(女性人権活動家シャディ・サドルのキャンペーン等が有名)をよく知るアムネスティ・インターナショナルUSAのエリーゼ・アウアーバッハが、批判意見。
※ 因みに、コーランには「姦淫した者を石打ちにせよ」とは一言も書かれていない。(姦淫は大罪、とする考え自体は見受けられるものの。)いわゆるイスラム法は、ムハンマドの言行を後世の男たちが好き勝手に解釈して体系化しただけのもの。ローマ国教化以降のキリスト教がナザレのイエスの直接的な教えに含まれない掟や迷信や屁理屈を次から次へと教義と称して取り込んでいったことや、釈迦を勝手に弟子の末裔たちが神格化してしまったことと、似ている。イスラム教が一般的キリスト教と比べて野蛮な印象を私たちに与えやすいのは、西洋経由の一方的な価値観刷り込みのせいでもあるが、「宗教改革を経て少しは洗練されたプロテスタントと違って、イスラム教は中世のまま社会の変化に対応できずに今に至っているせい」とする意見も。しかし、ペルシャ発祥のバハイー教(ハイレベルで実践されるよう理論づけされた男女平等思想や、他宗派他宗教への限りない寛容さという平和的側面を強力に持つ)は、客観的にいってイスラム教の新派だ。バハイー教はイランで非合法宗教扱いを受けて迫害されているが、既に世界宗教の仲間入りしているバハイー教がもしも故国近辺で復権〜勢力拡大した場合、それをもってイスラム教の宗教改革は達成されたことに当然なると私は思う。たぶん現存する宗教の中で最もリベラルで平和的で普遍的要素を多く持つバハイー教の進展に私は(無神論者の一人としても)期待をかけている。「愛に満ちた真に正しい無神論者たち」と「愛に満ちた真に立派な信仰者たち」が手を結びアウフヘーベンすることでしか、この腐った人類世界は変えられない。。。。
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27
ウニbonzの感想・評価
2021/06/29 16:43
4.1
変化をさせるのは 別の土地の記者
(記者→喜捨→棄捨→汽車→貴社→帰社→発射→ゲリラ豪雨→言いたいことはMのレビューに書いてある→梅雨)
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4
ごろちんの感想・評価
2021/05/17 09:09
4.6
エグいですね……。詳細はMarrikuriさんのレビューをご覧頂ければと思いますが、これはイランで実際に石打ち処刑を受けた女性のお話です。
観終わった後の胸がざわつく感じは『処刑の丘』や『炎628』を想起。タイトル自体がネタバレなので、そこに至るまでのプロセスが重要なのだと思うけど、芯が強く子供思いの女性がなぜそんな仕打ちを受けなければならないのか皆目理解出来ない。
石を投げる前に怖気付いた一般市民が「神は偉大なり!」と自身を鼓舞するところ、そりゃ神様も怒るでしかしっと思う。どう法典を解釈したら人に石を投げても良いとなるのか不思議でならない。
ドキュメンタリーは残酷なシーンのインパクトで心に残るが、劇映画は登場人物に感情移入する分観ていて辛い。でも実際に起きたことだと思うと観ないわけにはいかない気がする。この作品もいつかソフト化されて、多くの人に知られたら良いのにと思う。
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