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淵に立つのevergla00のネタバレレビュー・内容・結末

淵に立つ(2016年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

【蜘蛛、猫、猿、人】

観終わった瞬間、非常に不可解だと思いました。
理解するだけの人生経験が自分には足らないのだなと。
追い詰められ、吊り橋の淵にしがみ付くかのように生きてきて、最後にとうとう落ちてしまうのかと。

娘が障害を負ってホッとしたと笑う利雄にゾッとした私。利雄の心理を想像してみました。

殺人幇助の過去を妻子に隠して生きてきて、当然後ろめたかった。それでもこんな自分に妻は優しく敬語で話しかけてくる。妻子は八坂に懐き、自分の立場がない…が、仕方ない、これも罪滅ぼしさ…と思っていたら、八坂は消え、娘は障害者になった。そう、これぞ天罰だ、これで償わなかった過去とバランスが取れるのだ。そして妻も不貞という罪で、自己嫌悪と後悔の日々を過ごしている。夫婦共々罪悪感を抱え、八坂という共通の敵を持ち、ようやく対等になれた気がする…

こんな感じでしょうか。

会ったことのない父親の面影を追いかけて、同じ町工場に就職した孝司。殺人者の息子ということで、彼も随分苦労してきた筈です。鈴岡家の異様な反応も、やはり親父は何かやらかしたんだなと、想定内だったかも知れません。

この映画はとにかく行間が広い…というか描いていないことが多いです。
過去の殺人、利雄と章江の馴れ初め(気になる…)、八坂と蛍に何があったのか、八坂の行方、次々に従業員を雇うようになった経緯、八坂は本当に孝司の存在を知らないのか。そして最後は誰が一命を取り留めるのか?
蛍のランドセルが段々とボロボロになっていく気もしたのですが、いじめの描写はありませんでした。

八坂の白い作業服の下から赤いTシャツが現れると、赤いトラックが彼の欲望を後押しするかのように後ろから走って来ます。

赤色は、八坂の裏の顔…というか、(かつての)激しい性分の象徴だと思いがちですが、実は違うのかも?と考えられる点がありました。それは、蛍のドレスと、八坂が章江に急接近する時に見ている花が赤色だということです。モミジアオイという、朝咲いてその日の夕方には萎んでしまう短命の花。蛍が元気に走り回れた日々も、浮気の炎も長くは続かなかった。モミジアオイの花言葉は、温和、穏やかさ、優しさ、努力の賜物だそう。煙草を燻らせる晩、利雄が八坂に「優しいなぁ、お前は」と言います。利雄をチクらなかったのは、ダチを売るような卑怯者にはなりたくないという強がった動機以外に、腐れ縁の友情の中にも優しさが多少あったのでしょうか。
八坂を探して辿り着いた家は、同じ品種かは分かりませんが、やはり軒先には赤い花が咲き、屋根と雨戸の一部も赤色に塗られていました。これはオルガンの音色と共に、明らかに八坂との関連付けですが、工場の新しい機械も赤でしたので、そう深い意味はないかも知れません💦(もしこじ付けるなら、鈴岡家に残された八坂の爪痕とか?)

親子関係、神と信者の関係性が話題になっていました。
カバキコマチグモは、脱皮した子が母を食べる。
猫は、母が子の首を咥えて移動する。
猿は、移動時に子が母の背中にしがみ付く。
猫型、猿型宗教というのは、親を神、子を信者と喩えた分類で、馬型というのもあるらしい。(仔馬は自力で移動する。)
プロテスタントは猫型。章江と蛍の関係も、強いて分類するなら猫型になりそうです。母子家庭で育った孝司は母親を看取っていますから、それ以降は馬型でしょうか。
本作では、蜘蛛や猫や猿とは違い、蛍と孝司は親に守られることなく、親世代の過ちの犠牲となっています。

英題は”Harmonium”なんですよね。
どんなにオルガンを奏でた所で、人と神の距離は縮まないし、因果応報も止められない…。
親のために犠牲になった子供は天国に行くのでしょう。
ならば、子供を犠牲にした親はどうでしょうか。

う〜ん…
設定や演技に引き込まれましたが、ヒントが見つからな過ぎて、モヤモヤの残る映画でした。。
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