このレビューはネタバレを含みます
ユン.ドンジュが生まれたのは、1910年韓国併合条約が調印され日本の植民地支配がはじまった7年後。
映画は満州の朝鮮集落で従兄弟のソン.モンギュたちと大家族のようにして暮らしている場面から始まります(二人とも多分18歳くらい)。
2人は共に非常に聡明で誠実に生きていると言う点では一致していますが
日本による統治に心を痛めながらも文学に魅せられ詩作に励むユン.ドンジュとは違ってソン.モンギュは、日本による支配からの朝鮮民族の独立を強く願うレジスタンスでした。
2人は、より知識を深めるために日本への留学を志し、ドンジュは立教大学(後に同志社大学へ移る)へモンギュは京都大学へ入学します。
しかし、戦況が悪化する中、モンギュは独立運動のリーダーとしてドンジュは朝鮮の言葉で詩作したことで反政府運動に加担したとして憲兵に逮捕されてしまいます。
2人が理不尽な理由で延々と刑事に取り調べを受ける場面が辛いです。
2人を取り調べる刑事が「我々はアジアの解放のために戦っているんだ。」と声高に叫ぶのですが
〈アジアの解放〉とは、結局全てのアジア諸国を日本の統治下におくと言う事。
先日新聞に載っていた『〈玉砕〉玉が美しく砕け散るように潔く死ぬことの例え』と同じように
不都合な事実をごまかす為の嘘で塗り固められた美辞である、と思ったのでした。
結局2人は福岡刑務所に投獄され、血液に海水を注射されると言う人体実験の拷問を受けたのちに27歳の若さで獄死します。
そんな暗黒の時代においてもドンジュは、時代を超えて誰の心にも染み込んでくるような美しい詩を作り続けました。
場面場面で、ドンジュの美しい詩が語られるのですが、苦しい画面の中での対比でより清らかさが際立つ思いがしました。
日本人にとっては観ることが辛くなる映画でしたが、ドンジュの詩に共感し親身になって相談に乗ってくれる立教大学の日本人教授や
朝鮮語で書かれた詩を英訳し出版に尽力した日本の女学生など、ドンジュに寄り添う日本人が描かれていたことは救いになりました。
今までも知っていたことではありますが、この映画を観て1番ショックだったのは、日本の支配下に置いて創氏改名しなければならなかった、
つまり朝鮮名を捨て日本名に変えなければならなかった事、そして自分の国の言語である朝鮮の言葉は禁止され日本語しか話してはいけなかった、と言う事でした。
それを逆の立場として考えた時に、あまりの屈辱と憤怒に
当時の朝鮮民族の方たちに対して情けなく恥ずかしく申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいました。
日本は教育において自分たちの犯した罪をなかったことにしたり隠そうとする事はもうやめて、これからは真実を子供たちに伝えて行って欲しいと強く思いました。
最後にパンフレットに記されていたドンジュの詩を書いておきたいと思います。
〈星を数える夜〉
季節が過ぎていく空には
秋がいっぱいみなぎっています。
私は何の懸念もなく
秋の奥の星々をすべて数えられそうです。
胸の中にひとつふたつ刻まれる星を
今のこらず数え切れずにいるのは
たやすく朝が来るからでありますし
いまなお私の青春が尽きてはいないからであります。
星ひとつに追憶と
星ひとつに愛と
星ひとつにわびしさと
星ひとつに憧れと
星ひとつに詩と
星ひとつにオモニ、オモニ
(中略)
私はなにやら慕わしくて
この数限りない星の光が降り注ぐ丘の上に
自分の名前を一字一字書いてみては
土でおおってしまいました。
夜を明かし鳴く虫はまぎれみなく
恥ずかしい名を悲しんでいるのです。
ですが冬が過ぎ私の星にも春が来れば
墓の上にも緑の芝草が萌えるように
私の名の文字がうずもっている丘の上にも
誇るかのように草が一面生い茂るでありましょう。