わたしはサリンジャーのファンである。
17歳でライ麦畑でつかまえてを読んでからずっと。
サリンジャーの作品はとても少ない。が、魂に触れられるような作品ばかりで、印象深く、忘がたいものばかりだ。
作品の向こう側で、作家が崩れ落ちていく音が、聞こえてくるような気さえしてくる。そういう危うさ。
サリンジャーという人物について、もっと偏屈な印象を持っていた。
出版しない、と決めてからはもしかしたら偏屈な人物として捉えられていたのかもしれないけれど、
最初からそうだった訳では無いのであった。
彼は、たくさん傷ついた。裏切られた。
『正に』戦争を体験した者とそうでない者との違いが明確で、これはとても堪えるだろうな、と。
救いを瞑想に求めて、なんとか救われそうになっても、裏切られてしまうのだ。
人は評価されたい、認められたい、という気持ちがあるけれど、
それらがノイズになって、創作できないのでは本末転倒。
外野は無責任にいろんなことを言うし、勝手なことをやる。
戦争がなければ、もしかしたら、我々はサリンジャーの作品をもっと読めたのだろうか。
サリンジャー本人のことを知ると、catcherにしてもグラス家の物語にしても(他の短編も)、なるほど、現実とリンクしている。
ホールデンのファンが『これは僕です』というシーン。(ホールデンに自分を投影した元若者の1人として)ライ麦畑でつかまえてを通じてみんな『そうなのだ』ということを知ったのだから、ファンの言動は、然もありなん、ということになるのだった。