るるびっち

終身犯のるるびっちのレビュー・感想・評価

終身犯(1962年製作の映画)
4.5
実話のせいか、主人公をヒーローとしては描いていない。
彼は感情を抑えられず、すぐ切れる男で全く話が通じない。
看守が何度も注意しているのに、逆らって母親との面会が潰される。
まるで質の悪い駄々っ子だ。
むしろ看守や刑務所長に同情する程、手に負えない印象だ。
徹底的に看守や所長を悪辣に描き、主人公に感情移入させても良いはずだがそうはしない。ヒーロー映画ではなく、ドキュメンタリー的に描きたいのか。
高齢な母親の懸命な嘆願運動で、死刑から無期懲役になる。
愛情深い母親に育てられながら、何故こうも感情を抑えられないのか違和感があった。しかし母親の愛情に裏があると後々解る。

終身犯として籠の鳥の彼は、刑務所の庭で雀を拾い育てる。彼は愛情を育み、小鳥の治療の為に牢内で学問して一流の鳥類学者になり、治療薬開発までこぎつける。
感情もコントロールできない野蛮人が、小鳥の力で大変身するのだ。
人生に目的の無い頃は、死刑がむしろ救いとさえ思っていた。
それが鳥を通してあらゆるものを学び、獄から出たいと望むが希望は次々と潰される。
何という皮肉か。
目標もなく死刑を望んで荒んでいた男。
不満に対して、暴れる以外の対応を知らなかった男。
それが終身犯になったお陰で、学者も舌を巻くインテリになり、人生の目標が出来る。彼を支援する女性とも獄中結婚する。
しかし、彼は牢から出ることはできない。
刑務所のお陰で人間として生まれ変わるが、一生そこからは出られないのだ。

母親は彼の妻が気に入らない。互いに彼を助けたいのに、手を取り合うことが出来ない。
ここで母親の愛情が実は支配欲だったと気付かされる。
老母の献身的な嘆願に感動させられたのに、全てがひっくり返る。この反転が恐ろしい。
してみると彼が序盤で、待ち望んだ母との面会を暴れて潰したのは、無意識の抵抗だったのではないか。
幼児のように心が未成熟だった彼は、母に会いたいと熱望しながら実は恐れていたのではないか。母の支配から逃れる為に、無意識に暴れていたのではないか。
籠の鳥は彼自身だった。
彼は「母という牢」を脱獄して、人生の終身犯になってしまった。

初めは幼児のように感情のコントロールも出来ない男が、知性を得て刑務所長側の非人道性を論文に纏めるところまで進化する。
序盤で所長が何故こうも反抗するのだと疑問に思っていた部分。
知性の無い彼は「暴れる」形でしか、それを示せなかった。
それが長大な論文に言語化できるようになったのだ。
更生より非人道的な規律で縛るだけで、囚人をコントロールしていた所長と刑務所の仕組み。
人間はロボットではないので牢内では規律に従うが、釈放されると人間性回復と復讐心で非行に走る。
人を支配する仕組みでは、更生は出来ない。
これは刑務所と所長だけでなく、社会や家庭にも当てはまる。
愛情という名のコントロール。
彼は母親の偽善にも気付くのだ。
「愛情という名の牢獄」で、終身犯として過ごしている者は多い。
あなたは看守側? 囚人側?

禍福はあざなえる縄の如し。
刑務所に入らなければ、彼の目覚めは無い。
しかし目覚めがなければ、彼はそこまでの深い絶望を味わうことはなかっただろう。
何が良くて何が悪いかは、結論づけられない。
だが、どこの場所でも花は咲かせられるし、望み通り生きられないことが無意味な訳ではない。
自分の人生を見つめる勇気があれば・・・
るるびっち

るるびっち