ローズバッド

幼な子われらに生まれのローズバッドのネタバレレビュー・内容・結末

幼な子われらに生まれ(2017年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

監督はヘタだが、役者に救われている。


序盤のシーン、信(浅野忠信)が、前妻との娘・沙織と遊んだ晩に、ノートPCでメールをしようとする。
「家族が、実はツギハギだらけな事に不安を感じている」と告白する内容。
観客が文章を読みやすいように、携帯ではなく不自然にPCを使っており、文章すべてが長時間スクリーンに映される。

このシーンだけで、三島有紀子監督の演出方針に疑問がわく。

メールの内容は、主人公が抱えている課題であり、この後2時間かけて描かれるテーマそのもの。
それを、文章で読ませて説明するのなら、小説を映画化する必要など無い!
映像表現の中から、観客にテーマを読み取らせていくのが映画であるはず。
(“手紙”で主人公の内心をすべて語らせるのは、邦画に頻発する悪癖だ)

このシーンを映画的に正しく演出するなら、例えば…

携帯の画面「宛先 : 沙織」だけのクロースアップ。
メールを打っている信の姿(画面はボケて文章は読めない)
ふと、指が止まる。
信の小さな溜息。
deleteされ消えていくメール。
ほんの一瞬「ツギハギ」というキーワードが見える。
そして、翌朝からの田中家の、一見平和な日常描写のなかに、胃が痛くなるような「家族の不協和音」を忍ばせる。

こうすれば、徐々に、信が抱える課題(テーマ)を伝えていく事が出来るのでは?

普遍的なテーマ「家族という営みの難しさ」を描くのであれば、些細な出来事の中に、心理サスペンスが含まれている事を、演出の力で表現しなければならない。
しかし、本作は明らかに監督の演出力が無く、ほとんど俳優陣の技量によって救われている。
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主要キャスト4名は、実績のあるベテランが揃っている。
監督は台本のセリフを最低限にとどめ、エチュード(即興芝居)をさせたそうだ。
役者の演技の飛躍に期待する演出方法である。
大人の役者に関しては、おおいに成功しており、特に1対1の「対決のような対話」シーンに魅力がある。

信(浅野忠信)vs奈苗(田中麗奈)
ついにキレてしまう信、浅野の表情・発声は絶品。
田中麗奈は「普通であることに害がある」役がハマる、希有な女優。

信vs友佳(寺島しのぶ)
回想シーンの口論は両者の名演。
しかし、車内での会話シーンは、切り返しの画づらが退屈すぎる。
監督は、コンビニの駐車場内を歩きながらの会話に変更し、動きを足すべき。

信vs沢田(宮藤官九郎)
宮藤の唇を歪ませるなどの表現はベタの極致。
スーツ姿になって改善、丁寧語は崩さない男同士の駆け引きの味わい。
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大人とは逆に、3人の子役がまったく輝いていない事が、致命的な欠点だ。

長女 [薫] → 思春期・反抗的・閉じこもる
次女 [恵里子] → 純粋無垢・天真爛漫
前妻との娘 [沙織] → 聞き分けが良い・理知的

3人の性格付けが、あまりにも固定されており、「話運びの役割分担」以上の、セリフ・動作がまるで無い。
これは、もちろん子役の責任ではなく、監督の演出力不足である。
子役は、エチュードをするだけの実力が無いため、監督の演技指導になる。
その結果、定型的な役割を、定型的に演じるだけになってしまった。

恵里子の純粋無垢さを表現するために「ぬいぐるみに御飯を食べさせる・持ち歩く」というネタは、あまりに古典的で鼻じらむ。

薫が心を閉ざしている表現は、ソファかベッドで「背を向けて三角座り」のみ。

沙織には、喫茶店シーンで、内心の吐露である長セリフを喋らせているが、発声の抑揚などを演出コントロールできていない。

3人は、いわゆる「上手い子役」レベルの演技でしかなく、子供にしか出せない「ミラクル」が起きていない。
本作は、子供を輝かせる名手である是枝裕和監督の『そして父になる』と、かなり近い題材である。
比べるのは酷だが、子供の「ミラクル」を引き出す力に歴然と差がある。
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関東が舞台なのに、わざわざ西宮の「斜行エレベーター」を象徴として用いている。
特徴的なビジュアルそのものが、画面に活かされていない。
何度も繰り返されるエレベーター待ちの描写、あえて階段を歩くことの上下移動にも、寓意性が感じられない。

「襟元まで留めたボタン」が、生真面目さ・息苦しさの象徴として使われるが、一面的。
ひとりカラオケや終盤で変化をつけては?

父と娘の喫茶店シーン、信の「しょうがないよ、本当の親子じゃないからね」という全否定の言葉。
と同時に、雷鳴と光、そして停電。
この映像的な演出の飛躍(ギャグ的でもある)は見事だった。
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「理由はきくくせに、気持ちはきかない」という友佳の発言が、信の課題を解いていくカギとなる。
これが終盤に、薫に対し気持ちを「訊く」アプローチになる。
子供に対しては「訊く」ことは大切だと思う。
しかし、現実の夫婦関係においては、「訊く」アプローチは、ウザいだけのような気もする。
気持ちを「訊く」ことでなく、「聴く」姿勢で、相手が話したくなる時を待つほうが大事だと思うが…