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ワンダー 君は太陽のisknのレビュー・感想・評価

ワンダー 君は太陽(2017年製作の映画)
4.5
何かしらの障がいをもった子がそこから発展をどげ、周囲に認められるという体裁をとった作品は確かに感動的だが、作り手の、「どうぞここで泣いてください」といったポイントが垣間見えてしまい、苦手意識を持っていた。しかし、そんなことは杞憂に終る、感動の中に温かみを持った本作だった。

そして、主人公のオギーを前面に押し出した作品かと思ったが、そうではなくて、彼を中心として自分たちも何かしらの問題を抱え、自身の生活に迷い、そしてオギーとの関わりの中でそれを乗り越えていく人たちの話でもあった。太陽系はSun(太陽)を中心として成り立っているわけだが、オギーだけが太陽になっているわけでなく、時に誰かが太陽のように彼を照らし、支えるといった、相互的な体系の中にいる人々が描かれているのが、この作品を多層的なものにしている。

五年生になったことを境に学校へと送り出されることになった主人公オギーは27回にも及ぶ手術の影響で、人とは異なる顔をしているが、スターウォーズが大好きで、理学や宇宙に興味を持ち、勉強に意欲的であるという10歳の一般的な男の子なのだ。しかし、自分とは違うものを持っている人に、自然な振る舞いをなかなかできないのが私たちであり、子供というのはその好奇心から、思ったことをそのまま言い、行動に移してしまうから、オギーは当然のように、からかいの対象になって辛い学校生活を迎えることになる。

人としてどう振る舞うことが良いことなのか。「正しいことと優しいことのどちらかに迷った時は、優しい方を選ぶ。」という格言が素晴らしく、それを実行に移す同級生の女の子・サマーが感動的だ。そして、その波は徐々に周りの人を巻き込み、多くの人がオギーの良さに気づき、勇気を出して一歩を踏み出していく中で、優しさの輪が広がっていく。

この作品は、オギーの成長譚であることに変わりはないが、それと同等にフィーチャーされいるのが周りの人たちの日々だ。障害をもった弟がいる以上、親の関心が薄くなることは仕方ないと承知の上で自分を圧し殺してきた姉・ヴィア、本音じゃないのに一時的なノリであらぬ発言をし、友達を傷つけててしまったジャック、家庭環境から自分を偽り親友と距離をとってしまったミランダ、そして日々の生活に悪戦苦闘する親の二人。オギーのような状況にある人は少数でも、上記の人々の気持ちは理解ができるし、障害のある人と関わっていなくとも彼らの日々は僕らが経験していることでもあるから、本作に強く同調できた気がする。オギーの苦悩それ自体に焦点を当てすぎず、彼の存在によって否応無く自分の弱さに向き合され、そしてそこから発展していく登場人物の様に共感と感動を呼ぶ。

普段の実生活において、サマーのようになることはなかなか困難で、下手をすれば、大半の人が他のクラスメートのような振る舞いをしてしまうかもしれない。しかし、それがいかに愚かなことなのか、そして勇気を出し関わりを増やすことでいかに実りのあるものを得られるかという考えが、自然発生的に心の中に湧いてきた。そして、そういった点がこの作品では決して押し付けがましく表現されていないのだった。

エンドロールで流れる「brand new eyes」にのせて、鼻をすする音が聞こえてくる。その涙はとても優しく、その優しさが明日からの世界の優しさを作ってくれるのだと勝手に想像してみると、自分の頬にも涙が流れた。wonderとは奇跡と言う意味合いで用いられた本作だが、なんのことはない。自分達次第で、人ととの関りにおける素晴らしいことは起こせるのだと教えられた。
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