koumei

銀魂のkoumeiのネタバレレビュー・内容・結末

銀魂(2017年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

さすが福田雄一監督、期待を裏切らない!いや、いい意味で期待を裏切ってくれた!
シリアス100%、ギャグ100%、両方に振り切っている銀魂の世界観で溢れています!

人気漫画・アニメの実写化は失敗する、というのは、もはやジンクスになっているけれど、その原因は2つある。
1つは、原作に忠実に描くことに終始してしまうこと。元々実写で描けないから漫画やアニメで描いているのに、それを実写化したところて、劣化するに決まっている。
もう1つは、原作を超えようとして、制作陣が勝手に暴走すること。
1つ目は面白さが7割程度に落ちる程度のダメージで済むけど、2つ目はボコボコになることが多い。単なるオナニーになって終わってしまう。
実写化するとは、どういうことなのか?という問いに対し、原作に近づける、あるいは超える、という答えは、間違っているということが証明されている。
だから原作ファンは、実写化は要らない、と答える。
正しい。
聖書という原作を実写化してステンドグラスに描くだけで宗教戦争になってしまう中世ヨーロッパのように、実写化は争いしか生まない。

しかし!!!
福田監督は、実写化が、原作と違った魅力を出せるアプローチを、4つ示した。

1つは、時事ネタというアプローチ。
原作が描かれている時期と、実写化作品が放映される時期は、当然ズレがある。
だから、原作のシーンにリアルタイムの時事ネタを盛り込むことで、原作と差別化し、アップデートできる。
銀魂の醍醐味の1つである時事ネタギャグも、原作当時のものではなく、2017年現在の時事ネタにアップデートしたギャグが使われることで、実写化独自の面白さが作れる。

2つ目は、キャスティングというアプローチ。
日本のドラマは、不倫で騒がれているタレントを不倫ドラマに起用したりなど、タレントのプライベートや芸能ネタをイジれるドラマに抜てきし、ドラマつまり虚構なんだけどタレントの現実とリンクしているがゆえのリアリティやイジリを楽しむという独特のカルチャーがある。
冒頭から、橋本環奈の千年に一人の…で有名なビジュアルをいじり倒す抱腹絶倒のシーンから始まり、橋本環奈と長澤まさみの変顔、中村勘九郎のあの有名なCMのパロディ、本当はメチャメチャギャグしたいはずなのにギャグを封印されてシリアスシーンしかない堂本剛など、挙げればキリがないが、芸能界事情を知っていれば知っているほど、まさかこの人がこの演技するの?という期待と裏切りを楽しめるところが、実写化の面白さ。

3つ目は、メディア特性の違いを使ったアプローチ。
漫画やアニメは、「作られた」メディア、つまり完成された画を見てもらうもの。
当然失敗した画は採用されない。
本来映画もメディア特性上はそうだが、今回福田監督は、テレビ的な特性を取り入れた。
それは、ドキュメンタリー的というか、垂れ流し的な映像というか、つまりNGシーンをあえて入れたのだ。
ギャグ担当で有名な佐藤二朗の変態ロリコン発言に、隣にいるシリアス役の菜々緒が、つい笑ってしまい後ろに背を向けてしまう。
本来映画としては完全NGシーンなので撮り直しなのに、福田監督はそのシーンをまま採用している。
そしてここが、漫画やアニメでは絶対に描けないシーン。
現場のアドリブというかその場の空気感というか、それをそのままあえて映画に使っている。
これは、映画というメディア特性上極めて異質な手法。
シリアスシーンはNGが当然成立しないが、ギャグシーンはNGでも、いやNGだからこそ完璧に作り込まれた笑いよりも面白いのだという、ドキュメンタルの松本人志の思想と同じ思想が取り入れられていて面白い。
メディア特性の違いでいうと、実写は生身の人間が演じていることの限界が出てしまう、ということを逆手に取ったシーンで、中村勘九郎が全身にハチミツを塗ってカブトムシを捉えようとするシーンで片足で立っている時にフラフラしているところが面白い。
あれも福田監督が露悪的にやらせてる。

4つ目、メタ視点的なアプローチ。
当然、原作と実写はちがう。
ということを、メタ視点発言の多い銀魂がガンガン自ら突っ込むのが面白い。
どう見てもエリザベスの実写は無理があるとか、いっそオバQ実写化にしてしまえとか、こういうのは原作では生まれようのない突っ込みだから面白い。

日本のドラマやメディア特性を知り尽くしている福田監督だからこそ、ここまで実写化を面白く出来たんだと思う。
福田監督のノウハウは、もはや教科書に残すべきレベル。
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