前作の1を見ずに、先にシュガーラッシュ・オンラインを鑑賞。
1を鑑賞する前は、インターネットの可視化や、ディズニープリンセス大集合の小ネタも面白い上に、大筋の伝えたいメッセージである「選択の自由」や「自立する強さ」を感じられる良いお話だと思っていました。
しかし、つい最近になって1を鑑賞。
1のストーリーを知ったのちに、2を観ると違和感しかない。
1でのゲームから抜け出したターボは両方のゲームを故障させてしまったっていう設定はどこへ行ってしまったのか?
ヴァネロペ不在のシュガーラッシュは不具合とみなされないの(ターボと何が違うのか)?今まで一緒に過ごしたシュガーラッシュの仲間には何も感じないの?嬉しそうにヴァネロペを選択してシュガーラッシュをプレイしてた子供たちに何も思わないの?
ヴァネロペの選択を否定したいわけではなく、自分の居場所や、やりたいことを見つけて行動することはとても素晴らしいことだと思う。しかし、「自分の歩みたい人生を選ぶ」ために、仲間が不具合になる可能性を冒してまで自分の意思を貫いた先に幸せが本当にあるのかな?
あとラルフはヴァネロペに依存しすぎ(笑)
2しか見ていない時はそういうやつだと思っていたが、1ではもっと2人は対等な関係に見えた。
1でヴァネロペの大切なレーシングカーを破壊してしまったのに、2でも同様にヴァネロペの大切なもの(スローターレース)を奪おうとしていて、前作から何も学んでいないラルフに😡
もし、自分の大切にしているものを壊されて「こんなことになるなんて」と言い訳されても絶対に許せないなと。
1はなぜ今まで見てこなかったのか不思議なくらい素晴らしい作品だったし、2の物語も1を見なければ楽しく見れたのは事実なので、シュガーラッシュの続編ではなく、全く別の物語で「選択の自由」をテーマに作ってほしかったと深夜テンションでつらつらと、、😶🌫️