無名のひと

シークレット・オブ・モンスターの無名のひとのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

第一次世界大戦が終結した1918年、フランス。
プレスコット少年は、アメリカ国務次官候補の父親の仕事の都合上、家族でパリに引っ越してきた。
ある時プレスコットは、教会でイエス生誕劇の稽古終了後、石を掴んで教会に投げつける。
なぜそんなことをしたのか、彼は語らない。
その頃、父親は記者のチャールズと酒を飲みながら歓談していた。
母親とプレスコットとはろくに顔を合わせられないままチャールズは屋敷を辞する。
プレスコットが唯一心を許せるのはメイドのモナ。
モナだけはプレスコットを優しく抱き締めるのだった。
プレスコットは、石を投げつけた件について母親と教会に謝罪に訪れる。
しかしプレスコットは神父に返事もせずに、終始不機嫌な様子だった。
母親は、フランス語に不馴れなプレスコットの為に家庭教師のアダを雇う。
アダに髪を切った方がいいと言われ、プレスコットは気分を害する。
日曜のミサ後、母親と神父に言われて、教会の入り口に立って延々と謝罪の言葉を口にする。
母親にもういいと言われても、延々と続けるのだった。
帰宅すぐ、プレスコットは嘔吐してしまう。
アダとの勉強中、プレスコットは彼女の胸に触って怒りを買う。
以降、プレスコットアダを避けてひとりでフランス語の勉強をするようになる。
ある時、父親の仕事の都合上、屋敷で会議が開かれた。
プレスコットは、会議が行われている部屋の開かれた扉の前で、裸にローブだけを羽織った姿で立っていた。
息子に気づいた父親は、服を着るよう注意するが、プレスコットは部屋に閉じ籠ってしまう。
その罰として母親は、服を着るまで食事を与えないようにモナに言い渡すが、プレスコットを憐れに思ったモナは密かに食事を持っていく。
それに気づいた母親はモナを解雇。
部屋に籠って出てこなかったプレスコットが、部屋に母親とアダを呼び出す。
プレスコットはひとりで学んだフランス語を流暢に話して聞かせた。
家庭教師は必要ないとして、母親はアダを解雇する。
母親はアダに、自分は4ヶ国語を話せ、教師になりたかったのだと話す。
けれど父親に結婚を懇願され、家庭に入ったのだと。
父親が帰宅すると、家にはなぜかチャールズがおり、母親と親密そうに話をしていた。
プレスコットが未だに部屋に閉じ籠っていることを知った父親は激昂、無理矢理部屋に押し入り怒鳴り付け、彼を殴打するのだった。
その後、プレスコットの家で、ヴェルサイユ条約が締結された祝賀会が行われる。
母親に食前の祈りを命じられたプレスコットは大声で「もう祈りを信じていない!」と叫び母親を殴打。
母親は血を流して倒れ、プレスコットは逃げ出してしまう。
大人たちはプレスコットを追いかけ回し、プレスコットは階段の踊り場で倒れてしまった。
そこで急に時間は進む。
整然と並んだ軍人と、喝采する民衆の中を車から降りてくるプレスコット。
人々は「プレスコット万歳!」と声を上げる。
プレスコットは成長し、独裁者になっていたのだ。



これは独裁者が生まれるまでを描いた物語だ。
オープニングの音楽は不穏で不協和音に満ち、見るものの不安感を煽る。
プレスコット少年は終始不安定で不機嫌な様子を見せる難しい子どもだ。
突然変わった環境に苛立ち、仕事で父親は不在がちで時に大勢の人が集まって家に仕事を持ち込む。母親は信心深く厳しい。唯一心許せるメイドは奪われ、両親はそれぞれ不倫をしている。
プレスコットの中の怒りはどんどん積み重ねられていくばかり。
家庭教師のアダが教材として選んだ本の内容も意味深。
ライオンに捕まったネズミが命乞いをして助けられ、恩義に感じたネズミが、人間の罠にかかったライオンを助けるという物語だ。
作中では、時として自分より小さなものが大きな助けとなる、という意味として解説されるが、小さい存在が大きな存在を操っているようにも取れる。
プレスコットは癇癪を起こす度に大人を翻弄しているのだ。
母親の意のままにモナがクビになったのを見たプレスコットは、母親にモナを不要と思わせることができれば、父親と不倫をしているアダをクビにできると気づくのだ。
そして、彼女がもう不要なものだと示して見せる。
そのようにして、彼は少しずつ人を翻弄し、不機嫌さや自分の感情で周囲を操ることを覚えていったのかもしれない。
果てに成長して独裁者になったプレスコットだが、その容姿に驚愕を覚えた。
なんと、母親の不倫相手チャールズにそっくりなのだ(同じ俳優が演じている)
最終章に「私生児」ともあり、プレスコットは父親の子どもではないことは明らかだ。
母親はプレスコットに対して優しい母親とは言えない。
結婚したことで自分の未来を奪われたとでも思っているのかもしれない。
プレスコットはその象徴で、とても優しく接することはできなかったのではないだろうか。
せめて母親が、プレスコットの癇癪に向き合っていれば。
逆に癇癪に苛立って、自分に振られた祝賀会の祈りを、無理にプレスコットに振ったかのようにさえ見えた。
嫌がらせか…?と思ったのはさすがに邪推かもしれないけれど。
父親も、妻の不貞を目撃した怒りをプレスコットにぶつけているようにさえ見える。
彼に、モナのように優しく抱き締めてくれる両親がいれば、独裁者は生まれなかったのかもしれない…。
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