キューブリックとハネケとトリアーの良いとこドリップ。
『アウリスのイピゲネイア』のオマージュも「別に必ずしもそうじゃない」って否定してくるヨルゴスさんなら、私の意見なんか全否定するんだろうな。
(じゃあなんでその題名なんや)
日本にもコンテンポラリーダンス振付師で似た方がいるようで、評論家が「これにはこういう意味を感じられて…」とか言うと、「別にそんな意味はないです。」ってバッサリ全否定してくる。
作った本人が言うならそういうことだし、それはもうしょうがない。
でも作者自身が意図してないとこまで鑑賞者は気づいて勝手に解釈し予想を立ててしまったりするのだよ。
ヨルゴスさんに関しては、そこにそんな意味はないよ。と言ってみて、さらに観客を混乱の渦に落とし込んでいるのかもしれない。(きっとこの予想に対しても「別にそんなことしてないよ」って言う)
作品を受けとって咀嚼して自分だけの解釈が生まれる。芸術鑑賞って面白いね。
?ばっかりなあなたの作品が、私は大好きですよ。
以下ネタバレ。
真っ暗闇、音楽のみ鳴り響くオープニングに『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
袋を被らされて、銃殺に『ファニーゲーム』
数々のシンメトリーカットと頭がおかしくなり家族を破滅に追いやるしかなくなる父親、息子役ボブの顔面と撮り方に『シャイニング』
そんなものを、勝手に感じました。
実際プログラムでニコール・キッドマンはヨルゴス監督はキューブリック監督に似ていると仰ってました。
そして「メタファーなんだ」ってセリフで全てが覆るような気がしました。全部例えで、この世も誰かの空想世界で、例えばの世界。映画だって、現実だって。
そう思ったら何もかも受け入れられるかもしれないですよ。。
とりあえず、バリー・コーガンくんの顔面忘れられない。