南

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアの南のレビュー・感想・評価

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ヨルゴス・ランティモス監督を『ロブスター』で知り、さかのぼって観ています。

これもヘンな映画だー!

あらすじはこんな感じ↓

心臓外科医の主人公(コリン・ファレル)がお酒に酔って手術をしたことで、マーティン少年の父親が死んでしまった。

マーティンはその報復として主人公に

「先生の家族(奥さん、娘、息子)のうち1人に生け贄として死んでもらいます」

「誰を生け贄にするかは先生が決めてください」

と命じる。

ここからがユニークで、

主人公が1人を生け贄として差し出さない限り、家族たちはだんだん

1:手足が麻痺する
2:食事を拒否する
3:目から出血する
4:死ぬ

というプロセスを経て、最後には全員が死んでしまうという事。

この設定には、例えばマーティンが超能力を持っているなど「作品世界内での合理性」は与えられていません。

「現実では起こり得ない状況に誰も疑問を抱かず、それを前提として話が展開する」

というカフカ的不条理です。

そこにホームインベイジョンの要素も加わり、ミステリーでもホラーでもサスペンスでもない、独特の世界観に仕上がっています。

ほんとにヘンな映画。

キャラクターの感情の起伏が抑えられていたり、ドラマチックな展開を避けて地味に地味に厭なムードを作っていく手法はミヒャエル・ハネケ作品を観ている気分。

冒頭の鼓動を打つ心臓どアップに始まり、パスタのきったない食べ方など、露悪的な描写がとりわけ厭です。

そして俯瞰のステディカムでスーーーと人物を追うカメラワークや、必要最低限の編集と不穏な効果音。

それらもまた作品全体の冷徹な空気感を際立たせています。

そのためルックが『シャイニング』に近く、また『アイズワイドシャット』よろしくニコール・キッドマンがヌードを披露するなど、キューブリックを意識しているようにも思えます。

何よりマーティン少年の醸し出す空気がとても不思議。

真っ向から「個人的な復讐劇」と言うには、マーティンの言動から大きな私怨は見られないし、

かといって「マーティンは"因果応報"のメタファー」等と片付けるには、彼の言動はあくまで個人的な動機に基づいたものだし。

展開の類似もあり、『プリズナーズ』でヒュー・ジャックマンに拉致監禁されたポール・ダノ君を思わせる得体の知れなさがあります。


煮え切らない後味や厭な気分になるのが好きな私にはたまらない映画でした!
南