画面から音が消えたとき、不安感に押し潰されそうになり、無意識に声を出して自分の頭のなかに共鳴し聞こえてくる音を確認してしまった。
ふたたび音を取り戻したとき、その不快な音に気が狂いそうになり、思わずボリュームをオフにしてしまった。
無音の恐怖に心臓がしめつけられる一方で、あんな音を聞いているくらいならいっそ…。
しかしこう思うのはあまりに無責任に過ぎるだろう。
音を聴きたいとねがう気持ちを絶対に否定してはいけないと思うから。
耳の聞こえる子、音を知らない子、音を失った子。
みなが安心して生きられる社会を獲得するには、ひとの精神が進化するしかないんじゃないかと思っている。そして、大局的にはひとの精神は進化しない、と私は思っている。
じゃあどうすれば…。