たなかひろき

あゝ、荒野 前篇のたなかひろきのネタバレレビュー・内容・結末

あゝ、荒野 前篇(2017年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

何かを本気で、完璧に成し遂げるためには、
他のすべてを捨て、自分を追い詰めなければならない。
闘うなら、相手を憎め、憎め、憎め。
本当は憎む必要なんかなくても、成し遂げるために憎まなければ。
ボクシングに出会って、生きる歓びと幸せに気づくが
そもそもその発端、原動力は憎しみだった。
だから、本気でボクシングをやるんだと決意したがゆえに、
本来幸せになれる側の人間であるにも関わらず、
幸せを捨て、修羅の道へ自分を叩きこむしかない。
この徹底した、逆説的な理想主義に
寺山修司の哲学を感じる。

暴力とセックス、一見よくある「男の世界」かと思わせて、
根っこにいるのは孤独で、寂しがりやでまっすぐな、
ロマンチストの少年だ。
そこが寺山修司の弱っちさ、感傷癖でありつつ、
シンジとケンジが本当の兄弟みたいに仲良く笑い合っているところや、
好きな女に(恥ずかしがりながら)てらいのない愛を告白するところには
素直に愛しさを覚えるしかなかった。
衝撃作みたいに売り出されてるけど、普通にマジメで、ていねいで、
「情」のある良い映画です。

補足:
「自殺フェス」の意味がわからない、という人が多いようだ。
寺山修司は「自殺の哲学」を語っていた。
死を人生の結末とするなら、自殺とは神に死を定められた人間が
「どう死ぬか」を自ら選択できる唯一の手段だ、といった主張だったと思う。
自殺フェスの主催者の男はだから、寺山修司自身の代弁者で、
でも実際「死」をリアルに知らない人間が机上の空論で何言ってんだ?
という自己批判まで含めて描いたのがアレだったと思う。
たしかに現状シンジの物語とどう関係があるのかはハッキリしないが、
ものすごくざっくり言うとこの映画のテーマは
「人生の目的とは何か」「どう生き、どう死ぬべきか」
だと思う。
目的とは自分で見つけ出し、設定するもの。
生はもちろん、そして本来自身ではコントロールできない死すらも「目的」のうちに含めるとしたら?
その答えをシンジが見つけ出す上で
通奏低音のように(ボクシングで喩えるなら、ジャブのように?)自殺フェスのエピソードが効いてくるんじゃないだろうか。
と予測しつつ、後篇を観る!
たなかひろき

たなかひろき