ペーターの意地悪

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男のペーターの意地悪のレビュー・感想・評価

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1945年ナチが崩壊したときは自由と公正が勝利したのだと確信したのに、今の若者はナチなどお構いなしで「小さな家や車」にしか関心がない、と嘆き憤るバウアーのシーンが序盤の方にあった 翻って日本の若者はどうだったのだろうか?

以下メモ

ナチの統治が終わった後でも、当時は男娼の売春、相互手淫も風紀を乱すとして有罪だった(懲役2年とかにもなった)(フリッツは「ユダヤ人でゲイ」でありハンブルクなどで買春していた)

アイヒマンをドイツの法廷で裁くことはイスラエルとの和解が進むという効果もあったはずだが、アデナウアー首相の腹心グロプケ官房長官(元親衛隊少尉)らが牛耳るドイツ政府はアイヒマンを裁くことでナチ残党との繋がりが露呈することを避けたかった。仕方なくフリッツは国家反逆罪の危険を顧みずモサドと接触することにしたが、モサドは、人手が少なくアラブとの戦いにも注力せねばならないと初めはアイヒマンの捜査に消極的だったが、フリッツと部下の検事(バイセクシュアル)がアイヒマンのブエノスアイレス(アルゼンチンにはナチの隠れ家的なところがあったらしい)の住所を突き止めたことで拘束へ。イスラエルはドイツとの交渉の結果自国で裁判し絞首刑に

「森や川を我々は誇ることができない ゲーテやアインシュタインの業績は彼らの業績であり我々の誇りではない 我々が誇れるのは我々がなす行動だけだ 民主的な憲法があるのは結構だが持っているだけでは民主主義ではない」(ドイツ人の誇りとは? と聞かれ)というふうに答えるシーンはかっこよかった 
バウアーがアウシュビッツに関わった人間たちを追い続けるという行動は、作中で何度か「復讐心に駆られているだけだ」と揶揄されるほど執着的でもあるが、その背景には自身が支持していた社民党がナチに弾圧された頃ナチに屈してしまったという負い目もあった。 
若い頃は無力でも検事長まで上り詰めて巨悪を糾弾するというのは歴史に名を残すにふさわしい傑物だなあと