考察したいのが物語ラストの、主人公らの乗る列車に感染者が大量に掴まり、それを主人公が振り落とすシーンとその顛末である。
このシーンを見て頭に浮かんだのはもちろん、芥川の『蜘蛛の糸』である。主人公らが生き抜けてきた今までを「地獄」とするなら、そこから抜け出すあの列車はいわば「蜘蛛の糸」であり、そうすると感染者らは単に「列車に人がいたので喰いたかったヤツら」ではなく「自分もその列車に乗り、救われたかった人々」と考えることができる。
それを振り落とした主人公はどうなったか。
そう、自身も彼らと同じ感染者となり、再び「地獄」へと落ちていったのである。
この少し前、彼と同じ結末を辿った「ゴミカス中年」も、他者を蹴落とし救いを求め続けた結果、あえて観客が望むような凄惨な最期は迎えずに、感染者として「地獄」に落ちた所は「カンダタ」に通ずるものがある。
2人の共通点は「自分のことしか考えていない人間」だったことである。カンダタの蜘蛛の糸が切れてしまったように、彼らはその傲慢さの報いを、救済の列車から落ちるという形で受けたのである。
だがもちろん、この2人の退場の本質には大きな違いがある。ゴミカス中年は最後まで保身にしか目がない畜生として、無様に退場したのに対し、主人公は自分を犠牲にしてでも大切な人を守ってきた人々の意思を受け継ぎ、か弱い妊婦と誰よりも大切な娘を傷つけぬため、守らねばならない「人のため」に、晴れやかな表情に毅然とした態度で、華々しく退場した。たとえその身は「地獄」に落ちようと、彼の心は確かに救済されたはずだ。
父親の「父親らしさ」を初めて激烈に感じ取り、そのあと起こることを直感した娘は、号哭しながら「子供らしく」父を懸命に呼び止めようとする。正常な親子関係をようやく構築したのに、別れはあっという間に訪れるのである。2人が迎えた哀れな結末に、我々は、せめて2人それぞれがこれから「救われる」ことを祈るからこそ、最後のシーンはこうも感動的なのではないだろうか。
感動しました。傑作ゾンビ(?)映画です。