ヘンテコなジャケ写につられて鑑賞。阿部公房『箱男』みたいな話?と思ったら全く違って、ウゲーッて実話でした。
ヒッチハイクで車に乗せてくれた優し気な夫婦が実はアタオカで、捕まったコリーンという20歳の女の子が7年間監禁され奴隷にさせられてたという話。1977年のアメリカで起きたキャメロン・フッカー事件の映画化。
主犯は夫のキャメロンで、奥さんのジャニスは実質ダンナの奴隷って感じ。彼女自身も夫から虐待されてた経緯があって、なんだか北九州連続監禁殺人事件の夫婦と似てる。洗脳って恐ろしい。
胸糞系ではあるけど、虐待そのものをエンタメ化してないのが良い。描写がわりとマイルドでエロい撮り方をしてなかったのグッジョブ。でも内容的にはホントにホントに最低最悪のヒトコワ案件。
キャメロンという男の成育歴には全く触れられず、彼自身の心の“魔”は解き明かされないのがちょっとモヤった。
あと奥さんのジャニスも神に祈り聖書を読む人なのに、なんでなん?って感じ。夫、正妻、女奴隷という旧約聖書もどきの世界観で暮らす3人の、常軌を逸した三角関係が興味深かったですねー・・・。
(以下ネタバレ)
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逃げられるチャンスは何度かあったのに恐怖が先だって逃げなかったコリーン。そんなんでキャメロンも自信がついちゃったのか、ついには数日の帰省?を許す。これ驚き。何年も音信不通だった子がとつぜん帰ってきたら両親も姉も戸惑いますよ。しかもやけに愛想のいい謎の男に連れられて。このときお姉ちゃんが妹の異変に気づく。「あの子は手作りのチノパンなんか履かない!」ってパワーワードに震えた。三島由紀夫が『小説とは何か』の中で言ってた「炭取りが回る」瞬間ですね。(※下に説明書きます)でも親は「カルトに入ってるのかもしれないから問い詰めない方が」って弱腰で、結局なにも出来なかった・・・。ここのシークエンスはスリリングで見応えがあった。
夫を取られたという嫉妬の感情にかられて、コリーンを憎んでいたジャニス。ところが聖書の教えに平安を見出そうとした彼女は、同じように信仰にすがろうとしたコリーンと仲良くなっていく。2人で聖書を読み、一緒に教会の礼拝に出席するってマジか。黒人奴隷が信仰にすがって過酷な現実に耐えてたのと同じ心理なのかなーと思ったり。マルクスの「宗教はアヘンだ」って言葉、キライなんだけど、でもそういうことなのかなーって。こういうのホント気落ちする・・・。
※「炭取りが回る」について
三島由紀夫が柳田国男の『遠野物語』を引用して解説してた小説論。
『遠野物語』の中のエピソードに、ある家でお婆ちゃんが亡くなった話がある。棺に納められ一族が集まった晩、なんと裏口からそのお婆ちゃんが入ってくる。そして炉端を通っていく時、彼女の着物の裾が触れた炭取(炭を入れる箱)が、くるくる回ったと。この「炭取が回った」という一文で幽霊の存在が一気にリアルに立ち上がる。これが小説なんだーみたいな話。
あの日、全然らしくない、手作りのチノパンを履いて帰ってきた妹、っていうその描写一発で状況を言い切ってるのに痺れたんですよね。たぶん事実なんだろうけど、パンチ力あったなぁ~。手作りチノパン。(何回言ってんだ)