ひさしぶりに更新します。
この物語には、多声性はなかった。でもそれが悪い訳じゃなくて、逆に一人の男によって描かれた物語だからこそ、優しい救いがある。
うっかり先に町山さんの感想を読んじゃったので、思ってること近いのですが、少年、青年、お父さんは、1つの恋に向き合った男の3つの感情によってキャラクターが造形されてるのかも。愛は永遠だという純粋さと、愛はいつか終わるものだという無情さは、ひとり青年がひとつの恋を経験したときに、反目しあった葛藤なんだと思う。
そして、最終的にその相反する感情を、自分のなかで納得のいくように受け入れた感情が、父が担ったキャラクター。それは、愛しあったという瞬間は、永遠だということ。
彼が考古学の教授なのはギリシャやローマ時代のおおらかな男同士の恋愛を暗喩してるだけじゃなく、真実の愛というものは、その美しさを称えたまま永遠にそこにあると伝えたかったからじゃないかな。だから、この物語は現代劇でも成立するのに、過去なんだよね。これは誰かの湖のそこにある真実の愛の物語だから。