性別を問わず、お互い美しいものに惹かれる人たちだったのかもしれない。
それを分からせようとするくらい映画の中では美しい風景、美しい色彩、美しい音楽が広がり響いてた。
知識人の彼らにとっての美しいの定義は知性だったような気もする。
自分よりも知性を兼ね備えたと思い合える人同士が出会い、そこで直感的に感じた何かが自然と結果としての2人の関係性の形だったんだろうな。
最後の父親の話は重い。
◎脚本
教授とオリヴァーの対話が行われる映画の中での考古学の世界線でも、エリオとオリヴァーの関係性を予見させる伏線を散りばめてたの手が込んでた。
例えば、教授がオリヴァーに知識を試す際にアプリコットの語源を訪ね、そこでは単なる文献学の文脈で複雑な語源を持つ単なる言葉としての登場だったけど、後にエリオがアプリコットに性的な魅力を感じ、自慰の助けとして登場した。
また教授がギリシャの男性像の彫刻?をオリヴァーに見せた時に、「時を超えた曖昧性をもつ、まるで欲望を挑発するように」と語った時には、すでにオリヴァーとエリオの関係性を見越した発言なんだと思った。
エリオとオリヴァーの2人の世界線でこれが回収される。
「植物か。いずれは鉱物にも手を出すよ」とオリヴァーが発言していたが、それが見事に以上の2つの例に対応してる。
動物を通り過ぎてアプリコットという植物にも性的魅力を持ってしまったエリオ、それを通り越して男性像の彫刻という鉱物にも性的魅力を感じたオリヴァー。
◎演出
- 青が美しかった
青のTシャツ、青のポロシャツ、青のシャツ、青のワンピース、青の車、青のバス、青の建物...
- 衣装
アメリカから来たオリヴァーがラルフをよく着てて、ヨーロッパをルーツに持つエリオはラコステをよく着てた。
- 色の反転
オリヴァーとの思い出をエリオが振り返る時に色を反転させた見せ方は、映画全体の淡いフィルムテイストとのコントラストが鮮明で、エリオの苦痛を際立たせてた気がする。
- 余韻
シーンの転換をする前に風景をワンテンポ置いてからすることが多かった。余韻を残したかったのかな。