福岡拓海

君の膵臓をたべたいの福岡拓海のネタバレレビュー・内容・結末

君の膵臓をたべたい(2017年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

私が1番好きな映画の中の一つです。
以下レビューは私の偏見にまみれたものになっております。笑
というのも、本作の志賀春樹にとても自分を重ねてしまいました。(決してあのイケメンな顔ではなく、考え方にです笑)詳しくは後々。
そこにヒロイン山内桜良の自由奔放さ、純粋さが掛け合わさることで浮き彫りになる2人の対比!そして、2人がそれぞれの違いに惹かれあっていく様子が、、。まさに、私の思い描く理想の一つであります。だって、考えてみてください。相手の考え方、生き方で人を好きになるってとっても素敵なことだと思いませんか?
ちなみに、サントラも素晴らしい。一つのフレーズを様々な場面と適応するようにアレンジし、一つの物語の中で暖かみと、悲しみ、感動..ectを表現しています。そして、真実が明らかになるときにはそのフレーズにも転調とともに隠されたcメロのようなメロディが、、
サントラだけで泣けます笑

さて、観た人の中には山内桜良の言動を「あざとい」と思われた方もいるのではないでしょうか?確かに、作品として魅せるための演出もあり、そう思ってしまう点もあるでしょう。しかし!着目するところはそこではないのです。彼女は膵臓の病気で長くは生きられない。そんな中、春樹は彼女が唯一、気兼ねなく接することが出来る、作中の言葉で言えば、「ただ一人、普通の毎日を与えてくれる」人なのです。他の人には見せられない桜良のワガママなのです!ネタバレですが、病院で偶然会う前から、桜良は春樹に惹かれていました。(クラスで多くの人と接し、人の中で生きている桜良と対照的に、一人で本と向き合っている春樹を、桜良は自分とは違い「自分と闘っている人」と表現しています。この二人の違いと二人がどこに惹かれあったかは後述しますが、)私が言いたいのは、元々春樹は気になっている人であり、自分が闘病生活(作品をリスペクトして共病生活としましょうか)をしている、いつ死ぬか分からない、本当は死ぬことが怖い、怖くて仕方がない。その中で今、この瞬間を一生懸命生きているから生まれる行動なのです!彼の気を引くために必死なのです!そんな桜良の行動に対して「あざといからあんまり観てらんない」というマイナスな表現で切ってしまうのは違う!ということ!その一生懸命さと、高校生故の稚拙さと、純粋さを評価して欲しい!というかそこを観て!と言いたいです。(浜辺美波の演技が少し下手と言う人もいますが、そこも高校生の恋愛感をうまく表現出来てると私は肯定したい!要所要所で発言する文学的発言には高校生を思わせない大人ぶりを感じますが笑)

さぁ、序盤から熱くなってしまいましたが、後述すると言った本題について語りたいと思います。この作品の題名にある「君の膵臓を食べたい」、予告でも、「この意味を知ったとききっと貴方は涙する」という宣伝謳い文句をつけていますが、私はこの意味を理解したとき、しっかり泣きました。笑 私はこの意味は大きく三つあると思います。一つは自分の病気を治すために君の膵臓を食べたいという意味。はじめ、私は、序盤に出てきたこの理由を後の二つの理由を隠すためのミスリードかと思いました。しかし、本当は死ぬのは怖い気持ちを抱えて、周りに明るく振る舞っていた桜良の本当の気持ちを知った今は、心の隅ではこういう気持ちもあったのではないかと思っています。二つ目は、貴方になりたいという意味。春樹は北海道に桜を見に行く当日に、桜良に私を褒めちぎりなさい笑と言われ彼女を褒めます。「人を愛し、自分を愛し、世界を愛し、人に愛され、人を認めて、人に認められる君は強い」と。そして「君の膵臓を食べたい」と最期のメールを彼女に送っています。春樹はこの時点でそう感じ、このメールを打っている訳ですが、桜良は春樹がこのメールを打つもう少し前に図書館で、自分が死んだ後に春樹に読んで欲しい手紙を書いています。その中で同じ表現でこう綴っています。(同じ表現になりすぎているところはあるけど気持ちが通っていたところに涙、)「私は、誰とも関わらないで、たった一人で生きている強い春樹に憧れていた。君の膵臓を食べたい」と。桜良は逆に自分は他の人と共に生きることで、大切な家族、友人を悲しみに巻き込んでしまう。と言っています。そんな桜良自身は弱さだと思っている部分を春樹は強さだと思い、春樹の弱さも桜良は肯定している。これは、どちらが正解でもありません。それぞれの「生き方」なのです。その中で互いの違いを認め合う、そこに惹かれ合う。「生きるとはどういうことか。」をとても考えさせられました。そして、三つ目が、そんなあなたのなかで生き続けたいという意味です。二人がどんな人であり、二人が何を強さと思い、互いの何を認めているかというところに気づくと、涙が止まりませんでした。

(この作品が好きすぎて以降、映画のレビューと少し離れてくところもありますが悪しからず、笑)
原作小説も3回ほど読みましたが、映画も小説もどちらも良いですね!
双方色々な違いがあります。(語り手が「僕」なのは変わらないが、映画では大人になった「僕」"小栗旬"が昔の自分"北村匠海"のことを生徒に語るという形式で描かれていることや、「僕」の人間味、自己肯定感の低さが小説版では変であり、現実ではそうそういない、共感しずらいキャラだったり)
このような原作と小説の違いの中で、特に紹介したい点が三点あるので、させてください!小説がまだの人は飛ばしてもらったほうがいいかも!

まず、とっても驚いた相違点として、実は春樹が桜良に話した初恋の話は実は嘘だったという点。これは、その初恋の話は嘘で、桜良が初恋の人だった。と綺麗に片付けることもできますが、これがリアルだとしたら春樹本当に小説読みすぎですよね笑。咄嗟にあんなにリアリティもあり、かつ、感動的な話を作り上げるなんて、、もしかしたら春樹の理想として元々心の中にあったとかなのでしょうか。個人的に自分はメルヘン脳拗らせてるので、あんな素敵な話を聞いた後に、それは嘘だったと知って、かなりショックを受けました。笑(何にでもさんをつける人、、ええやん、笑)
次は、一番大きな違いとされてる、最後の遺書をどのタイミングで発見するかという点ですね、確かに、他のレビューでも散見するように数十年先に図書館にあの手紙が残っていて、たまたま春樹が見つけて、たまたまその日が恭子の結婚式で、ってのは出来過ぎだったり、なんだ?となるかもしれません。原作では、共病文庫の最後のページに遺書の1回目の下書きとして桜良が書いたものを、桜良の家で、お母さんに初めて共病文庫を渡してもらったときに発見します。これに関しては、実際映画化するときのキャスティングの問題(所謂、若手二人浜辺美波と北村匠海だけでは惹きが足りないための小栗旬と北川景子)が、一番絡んでくるのかと個人的には思っていますが、その点は、逆に映画制作にあたって、お客さんに見てもらうという前提で大人が考えて作っている、みたいなリアリティある現実の裏側的なところが垣間見えたりするところを楽しんでみるのは如何でしょうか笑。私は好きです。まぁ、小栗と北川景子演技圧巻よね。キャスティングは間違いなく成功よね。ってのももちろんあります。しかし、今となっては有名になり、演技力も上がってる浜辺美波、北村匠海、大友花恋なら充分演れると思うので(誰目線だお前)小説のままのカットも見てみたいと思いました。喫茶店で真実を知り、泣き崩れる恭子に涙するでしょう。🥲
三点目、これは小説ならではのロジック!「桜が春を待ってるみたいに。」これですね。これですよね〜。これは是非皆さん小説を見て感動してください!私がここで語るにはおこがましい!(なんだ今更)

最後のほんと最後に映画の中での私の好きなシーン、言葉を勝手にランキングで発表したいと思います!
(セリフの引用は小説から引っ張ってきてますがより文面から汲み取れるかと思うのでわざとそうしております🙇‍♂️)

6位!
駅前での待ち合わせのシーン

彼女が、人前で悲しむ表情を見せないのに、他の誰かが代行するのはお門違いだ

他人に価値観のはかり方を押し付けるようなまねをしない、他人と一線を画する春樹の考え方が垣間見えた言葉。共感や共有を押し付けず、押し付けられることも拒む。当たり前のことなのだけれど、意外と出来ていなかったり、忘れてしまうこと。(もちろん、共感力も大事ですが、)人と話していて、相手の話を聞いていない訳ではないけれど、自分の価値観を中心に添えて相手にも同じ価値観で物事を考えるように強制しがちな私には大切であり、心に留めておかなくてはならない哲学だと感じました。

5位!
スイパラにて、本当は僕になんて興味ないんでしょ?の返しで桜良が怒るシーン
映画ではセリフ化されていなかった部分もありますが小説の原文をどうぞ

「私は、君のことに興味があるって言ってるの。私は興味がない人を遊びに誘ったりしない、馬鹿にしないで」

こんな沸点があって、こんな怒られ方をされたらなんか圧倒されるし、感動?してしまうまである。私が思うに、そもそも人が怒るのはその対象への拘りがあり、且つ自分の理想としていた結果にならなかった、若しくは想像していた通りの結果にならなかったとき、だと解釈しています。このとき桜良は、春樹が本心ではそんなことをいうわけがないと思い、信じていたのでしょうね。桜良が春樹の言葉に悲しむのではなく、怒ったのも周りの人とともに生きている桜良らしいですよね。春樹ならきっと悲しんでたんじゃないかな。

4位!
再びスイパラにて春樹の初恋の人のエピソードのシーン

「きちんと何にでも「さん」をつける女の子。本屋さん、店員さん、魚屋さん。教科書にでてくる小説家なんかにもね。芥川さん、太宰さん、三島さん。果てには食べ物にもつけてた。大根さん、なんで具合に。今思えばただの癖だったのかもしれないし、人間性とはまるで関係がないかもしれないけど。当時、僕はそれをいろんなものに敬意を忘れないってことだと思った。言いかえれば、優しさとか奥ゆかしさみたいなものだと思ったんだ。それで、他の誰かよりもその子に少しだけ、特別な感情を持ってた」

人を好きになるポイントって人それぞれ様々で、それ自体が素敵ってこともありますけど、こんな捉え方をする春樹も素敵だと思いませんか?言葉の端にはその人の人格が宿る、と私は思っています。春樹も幼い頃からそんな感性で人を見ていたんですかね。ま、これに関しては春樹の妄想で現実じゃないんですけど😂

3位!
春樹の残り少ない命をこんなことに使ってていいの?に対する桜良の返答

「君も死ぬまでにやりたいことはあるでしょう?でも今、それをやってないじゃん。私も君も、もしかしたら明日死ぬかもしれないのにさ。そういう意味では私も君も変わんないよ、きっと。一日の価値は全部一緒なんだから、何をしたかの差なんかで私の今日の価値は変わらない。私は今日、楽しかったよ」

これは生を死から捉えるというか、病気で死を前にした、死生観がしっかりしてる桜良の力強い言葉ですよね、学ばされる、、

2位!
偶然じゃない

「偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。君と私がクラスが一緒だったのも、偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ。」

リアリスティックな私は、一生こんな考え方にはなれないんでしょうが、世の中にはこんな素敵な考え方もあるんですね。

1位
生きるこということ

「生きるってのはね
きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ
誰かを認める、誰かを好きになる、嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。それが、生きる。自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。私の心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。そうして形成された私は、今、生きてる。、まだ、ここに生きてる。だから人が生きてることには意味があるんだよ。自分で選んで、君も私も、今ここで生きるみたいに」

生きるってどういうことだろう。たくさん答えがあるなかで、この考え方も間違えなく一つの答えだと私は思います。こんな風に生きられない自分だからこそ、こんな風に生きてみたい。

この映画は、終始自分の足りないものを桜良が教えてくれる、足りない自分も肯定してくれる。と私個人にはとても刺さる映画でした。(そんな映画だからこそこんなレビューになったんですが、読み返すと、自分がどういう人間かを書いているような気もして少し恥ずかしいですが、笑)

以上!
こんな長い長ーいレビューに最後まで付き合ってくださり、本当にありがとうございます