ちゃんしん

昼顔のちゃんしんのレビュー・感想・評価

昼顔(2017年製作の映画)
3.2
人は幸せを求める…。

一昔前、某有名人が「不倫は文化だ。」なる発言をした記憶がある。
いつの時代も誰かの「不倫」という話題は尽きることはない。
どれだけ世の中がマイナスイメージを持とうが、そのことにより当事者の結末が大変な事態になってしまうのが現実だろうが減ることもなく、逆に増えているようにさえ思える。

果たして「不倫」が一般的な倫理観として悪いことだと言い切ることができるのかどうか?
ここが問題なのだろう。

そもそも「不倫」とは、夫婦間に於ける一方の異性との関係性を表しているに過ぎない。
婚姻関係を持つどちらか一方のものの他の異性間との関係を大雑把に言えば、知り合い・友人・浮気・不倫関係などと表現できるだろう。
ここで大事なことは、その当事者の軸足、自分の気持ちがどこにあるか?だと思う。
たぶん浮気まではまだ配偶者に対しての割合が多く、不倫は反対に少なくなっている状況だろう。

何故少なくなってしまったのか?

それはただ単に現状に幸せを感じることが出来なくなってしまったからに過ぎない。
人は誰でも今が幸せなら満足して変化を求めたりをしないものだからだ。
不倫をしてしまうまでになってしまうのは、その当事者が今のマイナスよりもプラスの生き方を求めてしまったからだろう。
夫婦間で上手くプラスを維持出来るようにお互いが努力出来ていれば、そもそもどちらかが「不倫」するという事態にはならないはずだと思う。
「不倫」をした方にもされた方にも何かしら問題があるからこそその状態になってしまうのだろうし、さらにその放置はどちらにもマイナスにしかならないものだろう。
例えば配偶者がとんでもない酒乱の旦那だったり、ギャンブル狂の旦那だったり、家事を全くしない妻だったり、経済観念の全くない金遣いの粗い妻だったり…。

果たしてその状態を維持して生きていくことが正解なのかどうか?

不倫をしてしまう経緯はその当事者にしか分からず、さらにその善悪などは誰にも判断出来るはずもない。

もちろん物事には順序があるしルールもある。
それを踏まえたとしても結局は当事者の問題にしかすぎないものであって、第三者がそれを問題にしてしまう権利はない。
ましてや批判や非難、誹謗、中傷は行き過ぎだと思う。
第三者には全く被害はないはず。

「不倫」の裏にある現実として存在する背景も知らずに、どういう理屈か分からないが社会一般の倫理観を出して非難してしまう風潮には寒気すら覚えてしまう…。
「不倫」を肯定する気はさらさらないが、その行いを赤の他人が批難する権利もない…。
本当に怖いのはその考え方、
「盲目の批難」の方ではないのか?
とは思ってしまう…。
ちゃんしん

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