きゃんちー

ニーゼと光のアトリエのきゃんちーのネタバレレビュー・内容・結末

ニーゼと光のアトリエ(2015年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

精神科病院で過ごした2年間の実習を思い出した。そのうち半年以上は作業療法部門にいたから余計に。

時代は変わってさすがに暴力で患者を支配することはなくなったけれど、この映画を見て久しぶりに思い出した。電気ショックを初めて見た時の恐ろしさ、保護室の中をうろつく患者と柵越しに目が合った時のなんとも言えない後ろめたさ、誰かが遊んで床にぬりたくった糞便を掃除した日のこと。病気になって生きるってこういうことなのか?自問した日々。

作業療法にいたとき、患者さんは開始時間前からドアの前に並んで、楽しみにして来ていた。入院してると娯楽がここくらいしかないからかな、なんて最初は思った時もあったけど。ちがうんだよね。

ひとりの患者が初めて筆を持って、キャンバスにサッと、黒い、頼りない線を引くあのシーン。名シーン。患者は驚いたような、戸惑っているような、赤ん坊が初めてのものを見たような、そんな顔で自分が描いた線をじっくりと追いかけた。匂いを嗅ぐ。2本目を引く。3本目を引く。そのうち水色が差し込んで、最後には止まらなくなって、いろんな色の線ができあがる。これだよなぁ。これが生きるってことだよなぁって。たとえ他人から見たらどんなに人格が荒廃したとしていても。

ピクニックに行った時にエミジオが感じた光のシーンも、同じく名シーン。ルシオが混沌とした粘土の山から人の顔を作り出した時も。リマが捨て犬を拾ってきてルシオに飼い主を任せるあのシーンも。みんなでお天気雨の中濡れながらはしゃいでた中庭も。それを見つめるニーゼの視線も。どれも本当にあたたかくて、豊かに生きるってこういうことだと心から思って涙が止まらなかった。

それだけに、最後の暴動のシーンはキツかった。人間ではなかった者達を人間に戻したのに、やり方を間違えてしまっただけでまた彼らを“患者”にしてしまった。「奪うなら与えるな!」。キツい。
最後の大成功だった展示会でニーゼが笑っていなかったのは、いろんなことを考えてしまう。また次の闘いについて、ニーゼは考えていたんだと思う。

この映画で一つ残念だったのは、対立軸として描かれていた精神科医たち。彼らは決して間違っていない。ニーゼだって強引なところがあったし、医師として治療効果を求めるのは当たり前のこと。効果があったからよかったものの危ない橋を渡っていたのは事実。彼らと対立してしまったから最後の悲劇を生んでしまった。ただ対立させるんじゃなく、深めて欲しかったなぁって。医療と人間らしさは共に歩んでいくべきだし、筆もアイスピックも、どちらも必要なのだ。

最後にとにかく賞賛したいのは、俳優たちの名演。精神疾患の患者の動き、目線、雰囲気。とにかく全部がそのままだった。実は当事者なのでは?と思うくらいに。あれはすごく観察に時間をかけたんじゃないだろうか。演じるというよりは憑依してると言っても過言ではなかった。

私にとっては特別な映画。仕事で迷った時にまた見ようと思う。