ニーゼと光のアトリエのネタバレレビュー・内容・結末

「ニーゼと光のアトリエ」に投稿されたネタバレ・内容・結末

暴力と性的な描写が
少しではあるけどキツイので
また観たいとは思いませんが、
いい映画でした☆

粗悪な環境に
新たに来た主人公が
変化をもたらす
ベタな内容ではあるけど、

やっぱり
1人で
立ち上がって行動出来る人って
すごい強い。

映画だから
トントン拍子に話は進みますが、

実際はもっともっともっと
超大変なことがたくさんあって、

辛い思いもたくさんしただろうし、

見たくないものもたくさん見ただろうし、

臭かったり
怖かったりしたんだろうけど、

主人公が
諦めようとする描写は
一回もなかった。

諦めず立ち向かい、

信念なのか執着なのか、
普通の人なら挫けるところも

ひょいっと乗り越えるように見えるのは

すごく強いからなのだろうけど

映画で短時間に仕上げられてるから
仕方ないけど
少しあっさりに感じました!

けど面白かったです☆
舞台は1944年のリオデジャネイロ郊外の精神病院。
精神患者に施すは電気ショック治療等の患者の人権を蔑ろにするような環境に、ひとりの女性精神科医が着任してきた、というストーリー。

実在した「ニーゼ・ダ・シルヴェイラ」が成し遂げた功績を描いた作品。
1999年に既に亡くなられた方ですが、そのご尊顔がラストで拝見できた。

当時の精神患者への待遇の酷さが描かれています。
医学的な遅れは勿論ですが、患者へ差別的な問題に関しては今もなお行われているのでしょうね。(最近ニュースにもなっていたし)

そして男尊女卑も当たり前のように存在し、それらに立ち向かう強い女性だったのですね。
凄く良い作品。
無意識の中での芸術。
そこから心を取り戻す。
精神医療をもっと豊かにしてほしい。
入院すれば病院に閉じ込めて外に出さない。
入院した人達は犯罪者か?
そして人間扱いされない。
今の精神病院もこの時代と一緒。

太陽の光や緑や芸術、そして人の温かい愛情を感じる事が病気への1番の治療、大切な事だとまた実感できました。

男のプライドと女の感情論と
患者の人権と、、
色々ひっちゃかめっちゃか

半世紀前は当たり前の光景やったと
思うと恐ろしい

リマがどんどん穏やかになってくの
かわいい&看護婦さんたち美人〜!
ロボトミー手術、いやーーー。勘弁して。『カッコーの巣の上で』が有名だけども。ノーベル賞が与えられてるってのが闇だよな…

1920年代アメリカの医療を描いたドラマ『the knick』の終盤にも精神病患者が登場したけれど、シーズンが打ち切りにならなければ、ロボトミー手術についても描かれたんだろうなと思いを馳せた。

精神病院、女性ひとりで奮闘、呆れつつ心配する夫、

タネはゴミじゃない、植えるものだ、人間的な、あまりにも人間的な、

裁縫でもするのかと見下される、女性差別があったことを示しつつ、不適切な発言だったなときちんと言葉にしたり、きちんと現代的視点で作り込まれた脚本だと思った、
怒鳴る男性看護師を諌めながらも、癒しの技は女性の技、という描き方をせず、プロフェッショナルとして描いたあたり、ものすごく丁寧につくられていることが伝わってくる。

まあ大変な環境で、おかしくなっちゃいそうだけど…人間をあくまで人間扱いするのって、時にめちゃくちゃ難しいのだと思う、認めなくちゃいけないと思う、
あのアトリエの先生みたいな、絵を教える、ときどき寄り添い交流する、というような立場ならともかく、共に暮らし、世話をする、介護する、私にはできない仕事だと感じる、どっちかというと患者になる可能性のほうが高い気がする、こわい、つらい、

暴力他、排泄物で壁に絵を描いたり、全裸で庭を歩き回る男は描かれたけど、セクシャルなことについては描かないのかな、ミニスカートから覗く膝小僧に目をやるくらいか、と思ったら、患者もといクライアント同士のセックス、しかし原始的で素朴で微笑ましい営みとして、
制御されない性欲、個人的には一番キツイ部分、抵抗を感じる部分なので見ずにすんでホッとしたけど、女性医師や女性看護師や女性ボランティアが患者から暴力を受けて挫けてしまう現実も描いて欲しかった気がする、でも偏見の助長に繋がるし、なくて良かったか、

光の中に神を見出す、絵を描く、綺麗だと思う服を着てみる、ワンピースを着てみる男、なんて自由、
自然に触れるうちに絵の中に記号が現れ始める、

手紙の返事、私を男だと思ってる、ユングも女性差別を、と笑う、ちょっと面白いけど、フロイト、ユングはなあ、未だに影響力があるのがまた、なあ

動物は最高のセラピストです、規則だなんだと潰しにかかる同僚上司に対して、ものすごい気骨、

開いた窓から外が見える、いつか窓が開く、簡単じゃないけど、
画家じゃない、労働者、

素朴な台詞にハッとさせられる、

煙草を吸いながら、クライアントと看護師のロマンチックな瞬間、人間だもの、恋だってする、
祭りを楽しむ、名医たちが見たら驚くだろうな、皮肉、
奨学金がもらえたからロンドンへ行く、しばらく来れない、でも、必ず戻る、混乱してしまったラファエル、彼に関わらないでと叱責するニーゼ、あくまで治療、実験でもある、私情に溺れてはならないのだと、

祭りの終わり、光に照らされたステージ、
殺された動物たち、泣き叫ぶ、こんなの患者じゃなくても狂乱するよな、
なぜ与えたのに奪う?殴る、殺しかける、あんなに美しい絵を描く青年がアイスピックで脳を刺される、

医者って、外科医って、究極的なところで人間を人間として見ていないんじゃないか、人間の捉え方がズレているのでは、と思う瞬間があるけれど、どうなんだろうな実際、人それぞれ、人の概念は違うんだろうなとか

立派な展覧会、無意識とは、言語とは、

あの病院、あの状況からどうしたんだろうか

最後の本人写真と映像、重みが凄かった。
現代医療の恩恵を受けている私たちには、冒頭の非人道的な『治療法』を全否定する事ができない。

たくさんの犠牲の上に成り立つ先進医療。
それが無ければ救えない命もあって、この水準まで進歩する事もできなかった。

苦虫をカミカミさせられますねぇ(*´-`)

でもまぁ、それが本題ではないので…
閑話休題(爆)

その原始的な治療と対比するように…
より原点に立ち返るかのようなニーゼの治療方針と姿勢には脱帽させられました。
ユングとの手紙のやり取りには驚いた🤭

とても自然に、あるべき形に誘う。
本当の意味での治癒の姿。
とても素晴らしい、感動的な実話。

そして、さらにそれも置き去りにして…
超個人的なレビュー(常w)

自らを閉ざした患者たちが、筆によって表現する『自己』という描写が…

魂を直撃してきました😳
ものすごく深くに響いた。

これは至高✨

芸術でも音楽でも、言語じゃない方法で自己表現をした事のある人には、強烈なカタルシスを与えてくれるんじゃないかな。

ただ絵筆がカンバスをなぞるというシーンで、涙がブワッと出てしまいました(苦笑)

誰に理解されなくとも、自分というものが必ずそこにはあって…それを表現する術というのは、実はそんなに多くはない。

それは直接、人の感覚を刺激するもの。
思考ではなく、感覚に心を委ねる。

例えばそれは音でもいい。
私がギターを掻き鳴らす時の…
微妙に歪んだ音の中にも私がいる。

それは好きな色や、香りでもいい。
新緑に陽が透けるコントラスト。
明け方にパン屋さんの前から漂う、芳ばしいイースト香…その時々に生まれる感情は自己表現に繋がっていく。

頭で理解するんじゃなくて…
心で感じるっていう触れ方。

この感覚が…私にとって至高。

自由で鮮烈な『自分』を表現する。

今作の患者たちに羨望さえ覚える。

エゴサだとかの評価値の対極。

何者も寄せ付けない『自分』

それを言語化してくれている台詞があったけど…私は言葉にフィックスする必要を感じない。観て、感じてもらいたい。

言葉で理解した事は、言葉の檻を抜け出せなくなる。でも、心で理解した事は…自分の形に変える事ができると思うから。

だからもう、このレビューは終わり(笑)
レビューになってないけど…
これが私のやり方。

心を解き放ってくれる素敵な作品でした。
冒頭ロボトミー手術がノーベル賞を受賞していることが告げられるが、このことはかなり重要なファクターである。見た目には残酷な方法であっても世間的に認められているものに信念で立ち向かうのは難しい。自分だったらどうだろうか、と思うと疑念が残る。そのことを覆すのは主人公ニーゼの内省的かつ人にも厳しい態度。そのことは異端の革命者としてのドラマを印象付けるとともに、いい意味でも悪い意味でも映画のトーンを重苦しいものにしている。劇中患者たちが舞い上がるシーンでも随所にニーゼの自分にも相手にも厳しい態度が表れて盛り上がり切らない。ニーゼの戦いはラストまで続き緩みない。タイトな実話ドラマとしてかなり疲れたけれど、本人登場の幸福感に救われた気がした。
精神疾患を、前頭葉を切除するロボトミー手術や電気ショックで治すことが最新治療だった1940年代。
精神を患う患者を「人間として」
自由に絵を描かせたり、動物セラピーによって治療し続けた物語。


愛をもって辛抱強く闘った医師、ニーゼの温かさに溢れた一作です。
前半は、今の医療や福祉では考えられない暴力的なシーンや、患者の特徴的な行動に(エンディングの患者の本人映像まで、これは本物の患者なのか疑ってしまうくらいに演技も見ものです)正直、目を背けたくなります。が、これも映画を通してその時代を知るよい機会だと思います。
「彼ら」の芸術に真に癒され救われる人間、それがいるとして、ではその人たちははたして「彼ら」をあの狭くて暗くて犬さえ持ち込めない病院から連れ出して「彼ら」の芸術・活動・生活すべてを支えられるほどの財力を持つような人たちか。きっと多くの場合、違う。そこが揃わない。この芸術を必要とするのはこの社会に乗りこぼれた人の心で、この芸術に必要なのはこの社会に乗りあうことができた人の金。この構造、このままならなさ。

「なぜ与えた」、「奪うなら、なぜ与えた」。もたないなら、なぜ始めた。
答えはニーゼの医師としての「野心」。それは答えのうちのひとつでしかないけれど、でも、それがなければ始まらなかった。「彼ら」を「ゴミ扱いする」ことでまわっている社会の枠内でのニーゼの「野心」が「彼ら」の「光のアトリエ」を生んだ。「彼ら」もニーゼも誰も、科学偏重資本至上のあの「非人道的」社会から完全に解放されることはない。社会に痛めつけられ、その社会から逃れることができずに精神を病んだ「彼ら」が、ニーゼの目の前、ニーゼの手の内でまた痛めつけられた。というか、ニーゼが、ふつうによかれとおもって、その過程を用意した。

きれいな場所できれいな客があふれる展覧会、ここまでたどりついた、その今に、満たされたものは何か、誰か。それは「彼ら」ではなく、この社会での成功者、賞賛に値する者、医師としての自分の「野心」それだけではないか。ラスト、拍手の中に立つニーゼの表情はそういう表情にみえた。

では、だからこれは「自分の野心を人道主義でごまかす」行為そのもの、まさしくそれでしかなかった、そういってニーゼのしたことを欺瞞としてかたづけられるのか。できない、それができない。今見た「光」を見なかったことにできない。
アイスピックよりも絵筆を武器にできたらそれはそのほうがいいととにかくなんとなくどうしてもそう思う気持ちがある、ニーゼが「彼ら」にもたらしたものがとてつもなく重要な光であった確信がある。どうしようもなくある。どうせ失くすなら最初からなかったほうがよかった、いらなかった、そういえてしまえばかたづくのに、それができない。それほど強い光。これでいけたらどんなにいいか。
これでいけるかもしれない、そう思えた時代の残像、その強烈さが迫ってくる映画でした
精神科病院で過ごした2年間の実習を思い出した。そのうち半年以上は作業療法部門にいたから余計に。

時代は変わってさすがに暴力で患者を支配することはなくなったけれど、この映画を見て久しぶりに思い出した。電気ショックを初めて見た時の恐ろしさ、保護室の中をうろつく患者と柵越しに目が合った時のなんとも言えない後ろめたさ、誰かが遊んで床にぬりたくった糞便を掃除した日のこと。病気になって生きるってこういうことなのか?自問した日々。

作業療法にいたとき、患者さんは開始時間前からドアの前に並んで、楽しみにして来ていた。入院してると娯楽がここくらいしかないからかな、なんて最初は思った時もあったけど。ちがうんだよね。

ひとりの患者が初めて筆を持って、キャンバスにサッと、黒い、頼りない線を引くあのシーン。名シーン。患者は驚いたような、戸惑っているような、赤ん坊が初めてのものを見たような、そんな顔で自分が描いた線をじっくりと追いかけた。匂いを嗅ぐ。2本目を引く。3本目を引く。そのうち水色が差し込んで、最後には止まらなくなって、いろんな色の線ができあがる。これだよなぁ。これが生きるってことだよなぁって。たとえ他人から見たらどんなに人格が荒廃したとしていても。

ピクニックに行った時にエミジオが感じた光のシーンも、同じく名シーン。ルシオが混沌とした粘土の山から人の顔を作り出した時も。リマが捨て犬を拾ってきてルシオに飼い主を任せるあのシーンも。みんなでお天気雨の中濡れながらはしゃいでた中庭も。それを見つめるニーゼの視線も。どれも本当にあたたかくて、豊かに生きるってこういうことだと心から思って涙が止まらなかった。

それだけに、最後の暴動のシーンはキツかった。人間ではなかった者達を人間に戻したのに、やり方を間違えてしまっただけでまた彼らを“患者”にしてしまった。「奪うなら与えるな!」。キツい。
最後の大成功だった展示会でニーゼが笑っていなかったのは、いろんなことを考えてしまう。また次の闘いについて、ニーゼは考えていたんだと思う。

この映画で一つ残念だったのは、対立軸として描かれていた精神科医たち。彼らは決して間違っていない。ニーゼだって強引なところがあったし、医師として治療効果を求めるのは当たり前のこと。効果があったからよかったものの危ない橋を渡っていたのは事実。彼らと対立してしまったから最後の悲劇を生んでしまった。ただ対立させるんじゃなく、深めて欲しかったなぁって。医療と人間らしさは共に歩んでいくべきだし、筆もアイスピックも、どちらも必要なのだ。

最後にとにかく賞賛したいのは、俳優たちの名演。精神疾患の患者の動き、目線、雰囲気。とにかく全部がそのままだった。実は当事者なのでは?と思うくらいに。あれはすごく観察に時間をかけたんじゃないだろうか。演じるというよりは憑依してると言っても過言ではなかった。

私にとっては特別な映画。仕事で迷った時にまた見ようと思う。
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