豊田市美術館「岡﨑乾二郎の認識 — 抽象の力——現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」の参考映画と勧められ。
ストゥシェミンスキはマレーヴィチ(妻のコブロが助手を務めていた)の後継として、カンディンスキーやシャガールと親交をもった画家である。
彼が社会主義リアリズムに抵抗する準拠枠としたのは、生きるための認識そのものだったのだろう。というより準拠枠(存在の根拠)というものは認識なのだ。
認識とは、形や色や移ろいの総合である。それらが残像を切り結び、記憶を紐づける。そして、思い出を形づくる。この生きることの素朴さを自らが肯定せずして、なんとしよう。
素朴さの統制こそが政治的な行為であり、素朴さの解放こそが芸術的な行為であるなら。この映画は、認識の戦争をこそ写しとろうとしたのだろう。