浮浪者さんの映画レビュー・感想・評価

浮浪者

浮浪者

映画(1133)
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洲崎パラダイス 赤信号(1956年製作の映画)

3.6

情念がはびこるだけでなく、衝動も、あるいは打算までもはびこっていく。人が生きのびるために働く計略や愚行を博物館のように眺めることができてしまう。

繻子の靴(1985年製作の映画)

3.6

遠距離恋/愛のすえに生み出された神学論争の深み、よもや微笑することしかできなかった。会えないから会わないへの移行がなされる時にすれ違う共感の位相。

退屈と倦怠がもたらす「気散じ」への欲望があらわにな
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アウステルリッツ(2016年製作の映画)

3.5

それは役立たずの収容所として。悪のノスタルジーは消え去り、シャッターとテクストのみ残る。

瞬間と歴史の塹壕戦。ダークツーリズム未満の眺め。

観光観察光画があまりにつまらぬものであることが、逆説的に
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人情紙風船(1937年製作の映画)

3.6

ルサンチマンの結晶/結託として行われる犯罪。その決死の行動も権力側にとってはかすり傷でしかないことが露呈していく悲哀の道筋。

任侠と武士の双方の論理で制裁されていく道筋…。

丹下左膳餘話 百萬兩の壺(1935年製作の映画)

3.7

郡司ペギオ幸夫が、ダチョウ倶楽部のコントを「能動的受動」という概念で解きほぐしていたが、本作もその系列に位置されるのではなかろうか。

よもやお決まり化していく、行為否認のあとの全肯定。それはこの世界
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異端の鳥(2019年製作の映画)

3.8

残酷さの極地から湧きあがる神聖さにやすやすと眼を開かされてはいけない。

善悪・美醜・真偽。

生活に染み渡りすぎた価値判断を驚くほどに保留してくれる。

判断はどちらかである、という余白のない絶対的
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スパイの妻(2020年製作の映画)

3.3

全く「御見事!」ではなかったな。愛情と直情で成立した夫妻にとって、コスモポリタンとしての義人であることは難しい。宇宙理念と社会制度の狭間で生きながらにして死ぬ私、死にながらにして生きる君。この直交しな>>続きを読む

マティアス&マキシム(2019年製作の映画)

3.4

前作は疑似悟りだったのか?過剰さに弄ばれ、余剰さに見捨てられる。カサヴェテス和尚をもじれば、A Movie Under the Influence.(こわれゆく映画)と言っても過言ではない。君の名前で>>続きを読む

鵞鳥湖の夜(2019年製作の映画)

3.5

血と霧と牛肉麺が一つの卓上に並ぶ饗宴に居合わせたようだ。不気味さよりも小気味さが先立つ空間のなかで居心地を獲得する術を修練することができる。

TENET テネット(2020年製作の映画)

3.4

ニーチェ"星の友情"とツヴァイク"星の時間"、無縁の友愛と瞬間の称揚に覆われた「まどか☆マギカ」だった…。

炎628(1985年製作の映画)

3.7

まだ私は途方もなくなれる。

例外状態、野蛮さの現れ、悪の陳腐さなどなど枚挙に暇がないほどに「かの対戦」は様々な種子をばらまいていった。

かの対戦が生まれなければ、この表現もまた生まれなかっただろう
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海辺の映画館―キネマの玉手箱(2019年製作の映画)

3.3

映画(という龍宮城)であなたが味わった官能、驚愕した畏怖は確かにあったのだろう。

しかし、その玉手箱を開けたあとに待っていた現実(作品)はあまりにも老醜かつ冗長で、野卑なものに成り下がっている。
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戦争のない20日間(1976年製作の映画)

3.5

「ない」ことなどなかった。銃前よりも銃後での生きられた時間にこそ、戦中が要求する滅私と克己が炙りだされ、譲り渡さない自由もまた現れる。

サクリファイス(1986年製作の映画)

3.5

再見。学問に対しても、祈祷に対しても、ある種の偏見に満ち溢れた過剰演出が際立ってしまうのは時代か。ともすれば滑稽すれすれのところで生きながらえること。

近松物語(1954年製作の映画)

3.6

死の瀬戸際においてこそ告白は完成し、恋は死とともに確定/成就するという、極北のロマンス…。

mid90s ミッドナインティーズ(2018年製作の映画)

3.5

この屈託のない笑顔をみることが出来るだけでも。そして、聖なる鹿殺しの、かの少年と気がつくことによる落差がまた映画か。

死霊魂(2018年製作の映画)

3.5

生存したものの饒舌さに慎重であることが、その背後に響く無言歌、骨身となったものたちを傾聴する態度なのだろう。生き長らえたものを死に損なったものと錯視すること。

初恋(2020年製作の映画)

3.3

何に命を賭しているのか不明のままに生きているのが本来ならば、ここに生きるものたちは、不明の何かに命を賭し、落としていくことだけは確認できる。

意味不明の生が氾濫する。いやはや、仁はどこにあったのだろ
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ノンフィクションW 大林宣彦&恭子の成城物語 [完全版] ~夫婦で歩んだ60年の映画作り~(2019年製作の映画)

3.5

無垢であり続ける生命を支えたものは、無下にされた生命として処さざるをえなかった過日の経験、例外状態としての戦争を全うしたものの経験。

道中の点検(1971年製作の映画)

3.6

いちど何かを踏み外したものには、そのまま転げ落ちる傾斜しか用意されていないのか。湯浅誠か云う「すべり台社会」の精神史的実現をみることもできる。転向と改心の無邪気な双子は、人をここまで狂わせるのか。

ジョジョ・ラビット(2019年製作の映画)

3.3

後世の灯は、ここまで幽きものとなっていることを、光量最大の眩しさが物語っている。子供の無垢さを利用し、逆手にとっているにも関わらず、己しか騙せない、あまりに自己欺瞞な歴史意識。

死刑執行人もまた死す(1943年製作の映画)

3.5

このような形で一般意志が顕現する。良くて痛み分け、悪くて全滅という悪手しか存在しない世界で、もう一つの全体が炙り出されていくキャンドルタイム。

オーソン・ウェルズのフォルスタッフ(1966年製作の映画)

3.6

生気と酒気を振りまきながら、虚実ないまぜの軽口を吐き続ける人類の祖先、フォルスタッフ!

アングスト/不安(1983年製作の映画)

3.5

衝動は賢さを招き、衝動に内省が付きまとうと愚かさを帯びる。その愚かさすら内省されたとき、別の愚かさが現れる。

この出現に立会うことが観るものに与えられた特権と呪縛。

はちどり(2018年製作の映画)

3.5

黙過から抵抗へ、自粛から超然へ移行する時につきまとう災いはなんだろうか。あらわにならぬ力に身をよじらせるとき、ある意志を持ち貫くときに、摩耗するものは。

タゴール・ソングス(2019年製作の映画)

3.4

上田萬年(真)と田中正造(善)と岡倉天心(美)を独りで歩んだような人。『スッタニパータ』"犀の角のようにただ独り歩め"が基底とはなっているだろう。本当に独りになることなど有り得ぬことを知ったものである>>続きを読む

さらば愛しきアウトロー(2018年製作の映画)

3.4

彷徨うことを肯定され続けきたものが終末において否定性を突きつけられる。それでもなお、人は彷徨えられるだろうか。

その手に触れるまで(2019年製作の映画)

3.5

ひたひたと迫りくる災難も、またたくように消えた罪も、なんともない道端の出来事のように救い撮る術がダルデンヌ兄弟の醍醐味。

早春(1956年製作の映画)

3.4

都市の気散じ、田舎の気負い、血気盛んの若さ、気落ちする老い、気の配り、気配の連鎖が生む正誤。

凱里ブルース(2015年製作の映画)

3.5

まどろみとほろよいの往復列車が招いてくれるのは、詰め込みすぎることの勤勉さと、中途半端さの露呈。

聖なる酔っぱらいの伝説(1988年製作の映画)

3.5

このように人は仕損じてゆき、恩寵にあずかり、静寂の中で事切れていくのだろうなと、強烈なまでの予感と既視感に出会えるのも稀だ。

駅馬車(1939年製作の映画)

3.5

北と南、そして東と西。人々が進路を獲得し、領土とするまでの間に流れたであろう血肉、そしてこれから流れるであろう血肉を背負っていることにさせられる時間の日々。飄々とするものも、淡々とするものも、大胆も繊>>続きを読む

暴動島根刑務所(1975年製作の映画)

3.5

行動派と理論派という無意味な二項対立を止揚することなく、無用なものとして無化していく、圧倒的な白痴的身体。そして、なんたるバディームービー(終盤のみ)だろう。

脱獄広島殺人囚(1974年製作の映画)

3.5

囚人など存在しないのだ、という確固たる外出意識。自粛も自律も言葉遊びにしか過ぎぬことを生権力何様というスタンスであり続けること。

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