浮浪者さんの映画レビュー・感想・評価

浮浪者

浮浪者

言葉では想起できない時間へ、映像がたどり着かせてくれることもある。一抹の可能性に連れ立ってみるのみ。

映画(881)
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流れる(1956年製作の映画)

3.6

杉村春子が大竹しのぶと二重写しになる瞬間。女と男、二項か二極か、はたまた異音同義か。杉村=大竹の啖呵によって「流れ」の外縁が際立つ、その瞬間に何でもが起こってしまう。取り返しのつかないことしか起こって>>続きを読む

夕やけ雲(1956年製作の映画)

3.6

ほぼ赤貧が産出するほぼ狂気の実存ミュージアム。意志という観念は現代の神話と言えるまでの道行き。

秋津温泉(1962年製作の映画)

3.6

岡田茉莉子すら見飽きることが出来てしまう絶望映画。もしくは湯気と煙草がもたらす半透明の媚薬による延命映像。

トップ・ハット(1935年製作の映画)

3.3

「気儘時代」へ向かうための序論の序論と思うことでしか、肯定する術はない。タップが上滑る悪夢。

オン・ザ・ミルキー・ロード(2016年製作の映画)

3.7

猫背ではないシュルレアリスム。象徴を言い揃える隙間はない。動きの渦中へ忍び込ませる誘惑は、重力が及ぶことのない圏域まで連れ出し、各々が持ち合わせる天体軌道へ配置させてくれる。悪い話ではない、身を委ねた>>続きを読む

復讐するは我にあり(1979年製作の映画)

3.3

ただただ70分でよい。今村の象徴連鎖に費やされる時間は、蕩尽的快楽から遠くはなれ、かろうじて発酵し続ける惰性となりゆくしかないのか。

マッチスティック・メン(2003年製作の映画)

3.5

「ユージュアル・サスペクツ」よりは「鑑定士と顔のない依頼人」に類似しつつ、実際は「パンチドランク・ラブ」だったという点においてドンデン返しなのではないだろうか。コレクションの喪失よりも、獲得したトライ>>続きを読む

タクシー運転⼿ 〜約束は海を越えて〜(2016年製作の映画)

3.5

意を介すことなくはじまり続ける暴力と複製技術のせめぎ合い。情念のままに事をおさめる事はできず(血と涙の液体戦争)、家族のなかで籠城することもできない(隣人と血族の共感戦争)。心身ともに四面楚歌と成り果>>続きを読む

トニー滝谷(2004年製作の映画)

3.5

服を着るために生まれた人を失ったのちに、残された「抜け殻」だけをなぜ愛することは出来ないのか、ということに力点をおいてもよい。「纏う」という降臨を愛していたのであって、「衣」(あるもの)だけも「身」(>>続きを読む

孤狼の血(2018年製作の映画)

3.4

組織のための個人と個人のための組織では「保身」の有り様が異なるのは当然の報い。保身と言われる所の「身」の構造は何に根ざしているのか。それを正確に突き止め、その身と接続可能な魂を繋ぎとめることで、その「>>続きを読む

マルホランド・ドライブ(2001年製作の映画)

3.6

あまりにも自明であるが、悪夢も淫夢も予知夢も「夢」に付せられた言葉は夢の渦中においては事後でしかない。事後が自明となり切った、頽落した世界に否を叩きつけるための夢見の技法を探り当てるためのデッサン集。

イチかバチか(1963年製作の映画)

3.5

怪異が神秘に変わるためには接触頻度(親密さ)と陰徳(沈黙は金)が必要となるものの、怪異が疑心に変わる条件、接触頻度(胡散臭さ)と陰徳(意味不明)と無分別であることがイチかバチか、という運命意識ではなか>>続きを読む

海辺のリア(2017年製作の映画)

3.3

阿部寛の怪演により見るに耐えられるものになったかと思う矢先のラストに現れる仲代舞踏。

椿三十郎(1962年製作の映画)

3.5

鞘におさまりきらない己がいることの自覚を徹底化させながらも、おさまるべき鞘はついぞ現れないのだという諦念が拮抗する長丁場。争いの中で獲得した自覚も諦念も「椿」と共に洗い流され、また一個の荒らくれへと転>>続きを読む

秋日和(1960年製作の映画)

3.5

初婚と再婚の併走が招く災厄。単なる関係者が、当事者以上に認識者となり得たときにもたらされる威力。この威力がもたらす説得性こそが「教育」という聖なる瞬間を立ち上がらせる。

秋刀魚の味(1962年製作の映画)

3.6

企業戦士として身をやつしたものたちの集い。恩師とマーチが、彼らを華々しく惨たらしい現実へ突き落としもするが、その現実こそ青春であり、生きる活力となる紐帯を形成した。身をやつすうちに宿された後世たちから>>続きを読む

どですかでん(1970年製作の映画)

3.5

人間動物園、これまた一つの集落形成要因か。ある一人の生死を祝い、悼むことはなく、一個性が現れ、潰える、集落としての生死を描き続けながらなお、たった一人のことごとを取り扱っている。

21グラム(2003年製作の映画)

3.5

喪失しての重みではなく、与えられた重さにこそ焦点はあたっている。あらかじめ与えられた21グラムを単なる肉として全うするためのエネルギーへ変換するには、どうしたらよいのだろうか、と考えなくてよいための練>>続きを読む

彼岸花(1958年製作の映画)

3.6

家族ぐるみの付き合い、これまた共助と部族の変種であろう。若き意志が事後的な正義を獲得していけるように総意がずらされていくこと(世代交代)が先人の知恵であった。若さを肯定しきる悲しさを経ずには、啓蒙につ>>続きを読む

青空娘(1957年製作の映画)

3.5

人様の所作にはにかめることはミラーニューロンを宿せし生き物がもつ愚かさか。時代に耐える作品なんてもんは、普遍性より固有性を突き詰めて様を淡々と提示することでしかないのだ、なんて、バカのような当たり前さ>>続きを読む

ロブスター(2015年製作の映画)

3.4

兄であった「犬」が生命の終わりを遂げるときに本作は頂点をむかえる。その前もその後も、全てが蛇足とおもえてしまうのは極点の置きどころを誤ったからなのか。人である「弟」が家族的連関という最後の拠り所を喪失>>続きを読む

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア(2017年製作の映画)

3.7

ロブスターからの転生。ギリシャ神話解釈のコクソン的アプローチ!。供儀と確率に手を繋がせようと思うところに潜み入る眩暈の反乱。

ザ・キング(2017年製作の映画)

3.2

ディーン・フジオカが鬱とパニック障害を併発するまでの夢。

メッセージ(2016年製作の映画)

3.4

サピア=ウォーフ仮説という懐メロに依拠するのは誤りであったろう。無時制の言語=認知空間を持つものと規定する強い言語相対論で彼らを理解することはまずもって不能に陥ってしまう。そこには「理解」という回路が>>続きを読む

レディ・プレイヤー1(2018年製作の映画)

3.3

リアルとリアリティーの多層と混沌を感じさせることを忌避した映画(拒否することもない)にリアリティーを感じることもまたない。

ぼくの名前はズッキーニ(2016年製作の映画)

3.5

あらかじめ失われた微笑みたちよ。あなた達は口角が突き動かす交感の歴史にどっしりと腰を据えていることを知っていてよいのだ。なんども知ってよいのだ、なんども新しく。

懺悔(1984年製作の映画)

3.5

検閲という創造の制約が解きほぐされたあとの、あられもない無意識の反乱。アブラゼは、懺悔の後に「祈り」をみろといった。

希望の樹(1976年製作の映画)

3.6

見えないものを見えるようにする、そして、見えるものを見えないようにする。初めて見るのに何度も見てきたかのように、何度も見てきたのに初めて見るように、そう思わせもするし、そうとしてしか経験がなされぬよう>>続きを読む

祈り(1967年製作の映画)

3.6

神々の声に従っていた時代、人間に意識は存在していなかった。ジュリアン・ジェインズが「二分心」というアイデアで読み解いた「イーリアス」の世界のようだが、神と心と己の声を聞き取る「耳」の発達史としても見て>>続きを読む

きみの鳥はうたえる(2018年製作の映画)

3.5

氷とイヤホン、口男と耳男の戦争。口はあらゆる空気を呼吸するが、空気になることができない。耳は震わされた!空気のみを鼓膜を媒介にして接触することができる。

「寝ても覚めても」「きみの鳥はうたえる」に入
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寝ても覚めても(2018年製作の映画)

3.5

正面と真顔は等しくない。当然ながら人の顔に裏はない。

「寝ても覚めても」「きみの鳥はうたえる」に入りびたり候う。どっちがどっちのタイトルでもいいだろうなあってのと、タイトルに拘泥することしか残留がな
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シチリア!(1999年製作の映画)

3.5

未だみたことがないものをみている、からといって、みつづけるひつようは生まれないものの。一応みたことにしたい、と、今まさにみるべきものをみている、ことの狭間を遊覧させることにおいて上手いこといっている。

最後の追跡(2016年製作の映画)

3.5

罪という獲物、罰という獲物をもとめ、彷徨う。狩り・狩られるの土台から滑落し、果ては脱出することの困難さを示し合わせてゆく。自棄のあり方。

ボーダーライン(2015年製作の映画)

3.6

知っていたもの、そして、知ろうとするものがとれる態度がある。見知らぬ顔をすること、そして、訳知り顔になること。この2つの顔(するとなる)の境界を探り当てることが運命を宿命に変え、真顔であることを獲得し>>続きを読む

ミッション:インポッシブル/フォールアウト(2018年製作の映画)

3.4

「生存せよ!」というサイエントロジーの掟を心地よく遂行しつづけるイーサン&クルーズ。善悪の彼岸でとり行われる争いに、もはや勝者などなく。なし崩しの生存と、奇跡まがいの絶命が互いにあけ渡されるのみ。

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