浮浪者さんの映画レビュー・感想・評価

浮浪者

浮浪者

映画(1458)
ドラマ(1)
アニメ(0)

名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN(2024年製作の映画)

3.6

80年近く前に放たれた2つの箴言が人々を惑わしているときは確かにあった。

「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。」アドルノ

「まだ歌える歌がある、人間の彼方に。」ツェラン

ディランも
>>続きを読む

霊長類(1974年製作の映画)

3.5

霊長類という奇天烈な名付けがなされて久しい。ホモ・サピエンスという自称のもとに同類を蹂躙し、理解という名のもとに蛮行は肯定されていく。

それが科学的文明の成果であり、副産物なのだ。この開き直りの極致
>>続きを読む

視覚障害(1986年製作の映画)

3.4

身体の拡張として杖を、床を、扉を、そして世界を。切り開きながら、結んでいく。

セントラル・パーク(1989年製作の映画)

3.4

自然はいつだって怖い。森をつくる街もあれば、森をこわす街もある。人が自然を敬うことと舐めてかかることは表裏。敵でも味方でもなく、超然とする森に対して人が構えられることは。

パブリック・ハウジング(1997年製作の映画)

3.5

非効率と非人情が公然と歩いている。諦めと自己責任の徘徊。改善の要求は予算確保という名の遅延行為へと結びつく。即、という動物的な敏捷性はもうここにはない。

ザ・ルーム・ネクスト・ドア(2024年製作の映画)

3.6

つきはなせるもの、まとわりつくもの。ユーモアによって生と死がなだらかに結合していきながら、ほころびやもつれも共に降臨していく。

生に執着せよという命法への抵抗。美しい幕さえ閉じられるならば、その舞台
>>続きを読む

臨死(1989年製作の映画)

3.4

生きて死ぬ私。生と死は対立概念でも、推移過程でもない。二項と二極を離れ出でたところに無と神が居座っている。

病院(1970年製作の映画)

3.5

J・P・サルトル『嘔吐』マロニエの樹の啓示。

法と秩序(1969年製作の映画)

3.4

罰によって罪が生成され、罰が及ばない罪は忘れられていく。

福祉(1975年製作の映画)

3.7

善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。親鸞に拝ませたい八大地獄。

その男、凶暴につき(1989年製作の映画)

3.5

ふらふらっと治外法権の人生を選び取ってしまったものの孤独と孤高がすれ違っていく。

菊次郎の夏(1999年製作の映画)

3.5

この夏は二度と訪れない。そして二度と訪れてはいけない。無為であることが充満していく、労働から遠く離れた遊戯と観照の時間。

誘拐魔(1947年製作の映画)

3.4

小さく狂えば芸術家であり、大きく狂えば囚人か病人にならしめるのが近代であることを分かり始めた人々のドラマ。しかし、ことの大小を判別する機能が崩壊し、正常と異常の混合が全面化していくのが現代であり古代だ>>続きを読む

わたしの願い/わが望みのすべて(1953年製作の映画)

3.4

夢に駆り立てられた人間の暴挙を許せるようになるか、許すことが出来なくなるか。その分水嶺と、姿勢の変容、哲学の形成が老いるとことであり、人生に熟達し、甘えていくことの推移であり、成れの果てなのだと。

オッペンハイマー(2023年製作の映画)

3.4

「平和利用」という崇高かつ欺瞞に満ちた概念の発生と運用の落差が散りばめられていく。永遠平和、時代錯誤のお題目ではなく、超時代的な理念であることを思い出し続けること、それはいかにして可能なのかと問い続け>>続きを読む

瞳をとじて(2023年製作の映画)

3.6

瞳をとじる、視覚からの解放。四感が冴え、思考と記憶の領野がひた走っていく。欠落からの豊潤といえるような経験。

瞳をひらく、視覚による制約。刮目するという映画的な視野は、一般的な視覚機能から遠く離れて
>>続きを読む

天国はまだ遠い(2015年製作の映画)

3.5

この生は見えぬものに囲われ、触れえぬものを包んでいる。

微かなものたち、微(生)物としての死んだものたちを。

まだ死んでいない者は、生かされ・生き残り・生き続けている者たち。

死というものが生か
>>続きを読む

PASSION(2008年製作の映画)

3.6

29歳のハッピアワー。

修正的な追記(八年ぶりに)
真実しか語らないことと、暴露話的誘導尋問の悪魔的カップリング。人間関係史において3年に1度あるかどうかの下らなさを3日に10度起こそうというハプニ
>>続きを読む

永遠に君を愛す(2009年製作の映画)

3.3

結婚及び結婚式なるものの形骸/儀式性を逆手にとりながなら、極限までキリスト教的制度/告白の無意味さを炙り出していく手つきによもや背信/背徳は感じない。

永遠の愛も、衝動の不貞も、等しく眼差していくゴ
>>続きを読む

何食わぬ顔(2003年製作の映画)

3.4

開花から遡及した萌芽の兆しを見つめるのは容易い。種でも芽ですらないものから、花にも葉にもなり得なかったものを見つめ返す不可能性の中心。

奇蹟(1951年製作の映画)

3.4

奇蹟が開かれるための条件。持続した時間、生命、この身体と環境…。信仰や生死の前に幾重にも連なるこの設えこそが、奇蹟の基礎条件であり、奇蹟それ自体であることを改めて噛み締めるレッスン。

ショックプルーフ(1949年製作の映画)

3.5

ご都合主義というメロドラマに託された美点の全面化。脚本通りに人間と世界が奏でられること!

違国日記(2023年製作の映画)

3.5

誰しもが、誰しもなりの方法で居直っている。不器用に、そして不甲斐なく。そしてまた、待ち構えている。恥じらいもなく畏れ、浮足立って祈りながら。

パンと植木鉢(1996年製作の映画)

3.5

どうやったらこんなものが生み出されるのか?複雑怪奇なものに向けた眼差しが持続するが、幕が閉じ、眼差しが折り返される時分。あまりにも単純なものをみた!と複雑性を事の純粋さへと解体/誤認していく。その運動>>続きを読む

あなたの瞳に話せたら(2019年製作の映画)

3.3

物語に情緒を潜ませる素朴な話法より、手紙という語りで情緒を全面化するほうがまだマシなのだなぁと思えてしまった。消極的肯定として。

何かを変えるのではなく、何も変えてはならない、この命法を生き抜くため
>>続きを読む

春をかさねて(2019年製作の映画)

3.2

あなたにとっての春を、誰かにとっての春に向けてかさねあわせる、その必然性を生むことはとても難しい(という当たり前のことを)。素朴さと相まって朽ちてゆく。

高校(1968年製作の映画)

3.5

支配と被支配の規則が全面化したゴミクズを平然と食らいつくし、そのゴミクズの残滓によって我々もまた延命されているのだと言わんばかりに。

チチカット・フォーリーズ(1967年製作の映画)

3.8

あまりにもデモーニッシュな作品。ホモ・サケルとしか言いようがない状況を否定的媒介にし、人間をモノとして平均化し、善悪・正邪・清濁併せ呑む。

ふと五木寛之のエピソードを思い出す。

///

平壌で終
>>続きを読む

憐れみの3章(2024年製作の映画)

3.3

一章を引き延ばして一時間弱で終わっていれば…としか思えないほどの続章の冗長さ。

異常さの百科事典をつくる行為ほど愚かしさはない。正常と異常の裂目にして発生、そしてその反転の縮小モデルを創り上げる才能
>>続きを読む

捕えられた伍長 4Kレストア(1962年製作の映画)

3.5

爆撃の最中。逃亡よりもブランデーを選択する、いや、選択肢ではなく、酒と心中しきっている老獪さには、誰も訓育されない。

コルドリエ博士の遺言 4K レストア(1959年製作の映画)

3.4

オパール、カウリスマキに出てくる悪漢そのもの。チャップリンも成し得なかった、道化の極致。

二つの季節しかない村(2023年製作の映画)

3.3

自己への配慮が利己へと暗転し、社会変革の連帯が愚者の舞踏へと進展する。世界は私を内包しないし、私もまた世界を外延しない。並列する必要もない異種格闘技。

"では、人間とはいったい何という怪物だろう。何
>>続きを読む

石がある(2022年製作の映画)

3.4

存在の大いなる連鎖。

"生きようとねがいながら、外側の運命のために押しつぶされるあわれな人間たち。思考が逃亡を欲する。思考はみずからを傷つける不幸を眺めることを欲しない。"シモーヌ・ヴェイユ「工場日
>>続きを読む