現代日本で五・一五事件が語られることが、
学校の教室以外でどれだけあるだろう。
戦後史は権威に対する牙を抜かれるところから始まっている。
1914年のサラエヴォから100年が経ち、
式典の会場となるホテルでは給与未払いによるストライキと
それを暴力で抑え込もうとする経営者のせめぎ合いが繰り広げられています。
時代は変われど結局人々は何かしら不満を抱えて暮らしているわけですね。
このホテルが100年経ったサラエヴォの今を表す縮図なんでしょう。
ホテルに鳴り響いた一発の銃声、
プリンツィプの意志を継いだ青年が、
ソファを買いかえることもままならずマリファナを吸う
労働者階級の見張りに殺されます。
唯一の反骨精神が大義も信念も無い貧困者の偶発によって
亡失してしまう、
民族主義が鳴りを潜め貧困が自らの首を苦しめせしめる負のスパイラル、
たぶんこれが今のサラエヴォの現状です。