ロッツォ國友

わたしたちのロッツォ國友のレビュー・感想・評価

わたしたち(2016年製作の映画)
3.6
「あんにゃーーん」


最近何かとアツい韓国映画!
ハリウッド一強にならない方が、映画界はゼッタイ面白くなるでしょうなぁ。
普段英語か、あっても欧州の言語で観ている(聞き取れてるわけではないので勿論字幕)ものだから、セリフが全編韓国語というのは何だか新鮮で、ちょっと違った味わいだなー。


無限で、難解で、広くて眩しくて息苦しい、子どもの世界。
思えば、やるべき仕事もなく没頭するほど難しい勉強もなく、価値観も意見も殆どは誰かの受け売りで、保護者に護られ学校が決めた制度の中を生きる子どもという存在は、何と息苦しい難しい世界を生きているのだろう。本作を観てそう思った。


本作最大の特徴は、常に子どもの目線の高さから離れないカメラ位置と、顔と手元くらいしか映らない狭〜い画面。
大人の顔はあまり映らないし、まして大人の視点に立った描写などは一切ない。
大人の生きる世界は子どもには意味不明だろうが、子どもの世界だって大人には分からない。本作において大人は、敵とか仲間の区別はあれど、理解者としては登場してこない。

この視点は紛れもなく、「子どもにしか見えない、子どもにしか理解できない世界」を写そうとした結果なのだ。


本作の予告では、虐めの中で発揮される友情がウンタラカンタラって売り文句が使われていた気がするが、大人が決めたそんな安っぽいコトバで、彼女達の間を渦巻く感情を説明できるとは思えない。

虐めたり、助けたり、仲間外れにしては、また近づいてみたり、本当に大変だ。キツい暴力や残酷な嫌がらせこそないが、だからこそ余計に逃げ場が無い。心にくる圧迫感。
それが上述した狭〜い画面で表現されるもんだから、もう息苦しく息苦しくて。。。


この独特の狭さ息苦しさについて、人間界に降り立ったポセイドンの親友ことさかなクン教授さんが、以前イジメについて綴った「いじめられている君へ」というコラムを思い出した。
さかなクン教授さんによれば、大きくない水槽に同じメジナを複数入れると、時折、仲間同士でイジメが起こり、一匹が執拗に攻撃されることがあるらしい。
しかしそのメジナを別のところへ避難させてやると、イジメの標的が変わるだけで、無くなることはないそうだ。広い海ならそんな事はないのに、狭い水槽ではイジメが起きる。。

そんな話を沢山聞く。
イジメとか集団暴力なんてのは、人間が自分達で住む世界を小さく見積もり過ぎた結果に起こるものだと思う。
世界は、本当はとても広い。
その意味を理解していないと、人は互いを傷つけずにはいられないのかもしれない。

無論イジメは完全に悪いし、断罪されなければなるまい。
されども、イジメっ子にもイジメられっ子にも本当は罪などない。
あえて犯人を挙げるならば、大人が勝手に作った学校という狭い水槽こそ、この息苦しさの元凶なのではないか。


だから、本作に悪物は存在しないし、故に誰も成敗などされない。
感情をムキ出しにして生きれば生きるほどケンカに発展するが、それでもなお仲直りする器も、彼女達は持っている。
友達だと思ってたら離れたり、イジメてると思ってた奴が1人泣いてたり、目まぐるしく変わり続けるこの世界を、彼女達は毎日懸命に生きている。


そんな裸の生き様を、本作は自然にありのままに、しかも彼女達自身の目線で描いている。
なんてしたたかで優しい表現だろう。


ストーリーの起伏も分かりづらいが、しかし彼女達の中では確実に色々な事が変わっている。
大人がしきりに気を利かせて「むかし仲良しだったでしょ」だの「あの時遊んでたろ」だの言ってくるが、アップデートが遅い。
あまりにも遅い。
嫌悪すべき存在という程ではないが、やはり違う世界に生きているであろう大人は、彼女達の問題解決には何の助けにもならない存在として極めて遠く、疎く、無神経に描かれている。


もちろん我々は子どもじゃないから、子ども達の気持ちは完全には分からないだろう。
それは監督含め製作陣も皆そうだ。
しかし理解し得ないなりに、思春期の時に大人に対して抱いていたような「何も分かってないクセに口出ししてきて、ウザい」的な感情を、ちゃーんと鑑賞者に沸き起こさせる本作は、少なくとも借り物の子ども目線に立とうとしている身分からすれば、非常に巧いと言えるだろう。

悪い大人は1人も出てこないが、子どもの世界の理解者としては余りにも未熟である。



そしてエンディングも、とても静かに、そして唐突に訪れる。
子ども達の世界で絶えず起こる変化の内の一つをサッと描いて、静かに話を終わらせる。

本作は「結論はコレです!!」と示すタイプの作品ではなかった。
拍子抜けしなくもないが、そもそも、子ども時代に結論はつけられない。
大人が決めたモラトリアムの結論は、その総括は、自分自身が大人になってから決めるもの。でもそれは、今のところは彼女達とは関係ない。
子ども達の世界を理解し得ない存在として大人を描いた本作に、大人が大人のモノサシで結論など付けられるハズも無いのではないだろうか。


だからあのフワッとしたエンディングは、本作の表現においては必然だったかなと思う。



まーーエンターテイメントとしてお腹いっぱいになれるか?という問題は別であるとは思いますけどね、愚痴ってビール飲んで寝りゃ忘れる世界を生きている大人が、子ども目線を体験できる作品としては非常に優れてると思いまひた。

明確にワルい奴を置かない設定も、面白みには少し欠けるがいい作品思想だと思いまふ。
教育委員会で毎年視聴を義務付けて欲しいざます。


しっとりとした味わいの、良い作品でした!
俺も海苔巻きたべたい。
ロッツォ國友

ロッツォ國友