Lugh

ロニートとエスティ 彼女たちの選択のLughのレビュー・感想・評価

3.8
敬虔であるとはどういうことなのだろう?

「うやまい、つつしむこと。」



それが軸にならないと、生きていけない人もいる。
それが足枷になって、窒息する人もいる。

信仰とはそもそも、自由意志によって成立すべきであるが、歴史を重ねる上で土地・血縁・慣例の影響が濃くなり、自由意志のあり方そのものにそれぞれ変化を与えてしまった。
我儘とされる人間は、そういった足枷から痛みを伴いながら自らを解放して外の世界を目指す。別の何かを信じる対象として。

信仰の対象が何であれ、敬虔な姿勢というものは存在する。
しかし、「つつしむこと」の表現が違ってくることがある。
何を慎むのか、何を以って慎むとするのか。


クライマックスのドヴィッドの行いは、そういった自由意志に対する許容と個への愛と共に、信仰の対象に対する己の姿勢への反省が表れていて、信じることの大切さと難しさを感じた。
しかしその対象は、自分の外にある偶像ではなく、内に生き続ける存在と思想である。それについては私も「敬虔な」一面は持っているかもしれない。
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