なんかHANA-BIまでの初期ー中期の北野映画を彷彿とする。
NANA-BI以降の北野武は明らかに作風を意図的に変えたんだよね。キタノブルーも封印し、菊次郎では緑、DOLLSでは多色を使う。実験作も娯楽作も明確なビジョンありきで作った。
アウトレイジというシリーズは、従来のキタノバイオレンスに如何に娯楽性が盛り込めるかがコンセプトだったと思う。
それを踏まえての3作目の完結編が、封印した筈の初期キタノイズムに溢れてた作風だったのが意外だったなー。だからこそ最近の北野映画のみで今作を語ると、物足りないと思う人は多いかもしれないな。
それを象徴するかのように冒頭、韓国の済州島の海でいきなりのキタノブルーだもの。これは!?と思ったね。
山王会が衰退し大阪の花菱が台頭したのが前作。韓国のフィクサー率いる言わばコリアンマフィアと花菱との抗争が今作の舞台。
そして、花菱内部の勢力争い劇の面白さ。
なんといっても西田敏行と塩見三省よ。もうイキっイキしてるわ(笑)西田敏行とか絶対アドリブだよねって変なセリフを連発する。しかも変顔の域に達したドヤ顔で。もう可笑しうて。
あと思ったよりピエール瀧が全編に渡り活躍したなぁ。
どう物語が終わるのかな?と思ったけど、まぁナルホドと思った。
大友(たけし)が自分の美学(世話になった者に仁義を尽くし、自分の舎弟の仇はキチンと打つ)を押し通し、大暴れして自ら幕を引く。
自分の最高の死に場所を求めるのは初期から続くキタノイズムの最たるものだし、極めて初期の北野映画の様だ。
これがもし従来のアウトレイジのシリーズの終わり方だったら、刑事を辞めた松重豊に刺されて死ぬ筈なのだ。
おそらくそれはブラフだった筈。従来のシリーズを知れば松重に小日向の仇を取らせて暴力の連鎖はまだまだ続くよ…と終わらせたと思うのだ。松重の辞職のシーンは絶対に見る側のミスリードを誘ったのだと思う。でもそう思わせてそうはならなかった。
初期に戻った、というよりは一周回ってもう一度同じ表現を採用した、いわばセルフオマージュに近いと思う。それだけ北野映画というものが広く映画作りを展開してきたか、ということですな。
済州島の太刀魚のチゲを食べてみたいわ。