ふーみん

許された子どもたちのふーみんのネタバレレビュー・内容・結末

許された子どもたち(2019年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

美しく、挑発的で、遊びゴコロもある良い映画でした。
キラのファッションがどんどん格好良くなってくのウケた。私刑=法秩序からの村八分がアウト・ローを創るということの傾いた表現やね。

少年法はよう知らんが、証拠がない中での判決そのものは妥当でしょう。社会正義ではなく依頼人の利益の為に働く弁護士も正当ながら、あの顔面力で嫌悪感を唆る作りが上手い。裁判官の遺族感情への無配慮に目が行きがちだが、問題はむしろキラを一時退廷させたこと=少年を責任主体として扱わないこと=法秩序からのネグレクトにある。

いじめの根っこが正義感・公正感にあるってのはネットリンチや転校先のガキども見ればよくわかるけど、それと"キラのいじめ"は別種だってのは混乱ポイントではないか。いじめ被体験者のキラは"弱ければ最悪殺される"世界観を内面化してる。だから自分に屈しない樹に怯えたのだし、樹を死なせたこともその世界観に整合してるから単純に反省など出来ない。正義・公正を謳う第三者を、強弱の世界にいるキラは理解出来ないだろう(それでも罪悪感と悔恨の萌芽は、たびたび樹の姿をとって現れる)。
キラママにとっても、今回の事件は息子がいじめを生き延びた冒頭シーン以上のものではない。描かれなかったキラへのいじめが既に彼らを歪めてしまっている。

フィクションは登場人物の内面を仮構することが出来る。現実では内心を知ることは出来ないから"態度で示す"ことが求められるわけだが、それも無限に追及可能な欺瞞でしかないのは明白だろう。果ては悲惨な境遇を見て溜飲を下げることになる。公正感が満たされる。
グリムの樹追悼にキラが苛立つのもわかる気がする。取り返しのつかない罪を同じくしながら、こいつは型通りの反省を示して平穏を得ようとしてやがる、と。まともに反省もできない自分に向き合うキラの苦しみと、一途に走り続けて空回りするキラママのカットバックが切ない。
キラママ襲撃を機にアウトローとして生きることに開き直る二人を見て一種の爽快感を覚えてしまうのも、哀しいことだ。

拳闘少女の一幕が癒やしになるのは、あそこだけ単純な勧善懲悪が成り立ってるからよね。加害者が同時に被害者となる複雑な社会からの一時的な逃避だが、一面的な正義で誰かを叩くことと密かに通じ合ってる、人間の根源的な感情なんだろう。
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