chiakihayashi

ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラのchiakihayashiのレビュー・感想・評価

4.2
@試写

原題The Price of Desireは意味が取りにくいとしても、邦題はミスリーディングであるだけでなく、明らかにアイリーン・グレイの評伝映画として撮った監督に対する、同時にアイリーン・グレイその人に対してのハラスメントと言ってもいいくらいではないだろうか。

アイリーン・グレイ(1878−1976)はアイルランドに生まれ、ロンドンとパリの美術学校で学び、日本人から漆の技術を教わってテーブルやついたてなどを制作、やがて彼女がデザインしたアパルトマンのインテリアが評判になり、パリに自身の店を構えた(最晩年の1970年代になって彼女が作ったついたてやデザインした家具は再発見され、オークションで高値がついた。とりわけ熱心なコレクターとなったのがイヴ・サンローランであり、2009年にはそのコレクションの中の椅子が史上最高額の約28億円で落札されている)。

当時、建築家で現代建築の雑誌を創刊し、評論に腕を振るったジャン・バドヴィッチが彼女の店を訪れ、14歳年下の彼とアイリーンは仕事の上でも私生活でもパートナーとなった(それまでのアイリーンは歌手のダミアと恋人同士だった時期がある)。アイリーンが独学で身につけた技術とその芸術性を遺憾なく発揮して、2人のために設計して南仏に建設、インテリアもすべてデザインしたヴィラが「E.1027」である。やがて酒と女に溺れるバドヴィッチと別れたアイリーンは、自分のための家として「テンペ・ア・パイア」(古いプロヴァンス地方のことわざ「時と藁とともにいちじくは熟す」にちなむ名)を建てた。アイリーンは宿泊施設にキャンプ場、レストラン、劇場まで備えたヴァケーション・センターを構想したりもしたが、彼女の生涯で実際に建築されたのはこの2つの家だけだった。そのうえ「E.1027」はバドヴィッチが手がけたもので、アイリーンがデザインした家具がル・コルビュジエによるものだと紹介されることもあり、アイリーン・グレイの存在そのものが長らく抹殺されていたのである。

バドヴィッチは早くからル・コルビュジエを高く評価しており、有名になったル・コルビュジエはしばしば「E.1027」を訪れていた。が、後に彼は大怪我の療養をかねて「E.1027」に滞在していた際に、勝手に壁にフレスコ画を描いてアイリーンを激怒させた。

映画は、その高度に洗練されたシンプルなデザインさながらに、自身の美意識の追求を最大の関心事として、独りもの静かに立っているようなアイリーンに対し、アクが強く、自己中心的なル・コルビュジエが支配欲と嫉妬心に駆られたかのように、「E.1027」に異様なまでに執着していく様子を後半で描き出している。

つまり『ル・コルビュジエとアイリーン』というタイトルは順序からしてもおかしい。

晩年のアイリーンと交流のあったピーター・アダムによる伝記『アイリーン グレイ−−−−建築家 デザイナー』(小池一子訳、リブロポート刊 1991年)には彼女のことを「従来の分類ではどこにも位置づけられないタイプで、そのことが例を見ない自由をもたらすことになっていた」と書かれている。

「E.1027」は2007年に仏政府機関に買い取られ、本格的な修復作業を経て、現在はル・コルビュジエがその真裏に建てた休暇小屋や仕事部屋などと共に一般公開されている由。この映画は実際に「E.1027」でロケされ、撮影のためにいくつかの家具が復元された。

歴史によって無視されてきた女性アーティストたちを発掘し、再評価するこの半世紀近くの地道で着実な歩みの果実のひとつが、本作なのだと思う。
chiakihayashi

chiakihayashi