青雨

A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリーの青雨のレビュー・感想・評価

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ある男が不慮の事故死を遂げ、あとに残した妻への思いから、「おばけ」として永遠に続くような時間のなかに存在し続ける。また、それだけの話に1時間30分ほどをかけているため、「おばけ」として生きる時間の孤独さが痛切に立ち上げられてもいる。

時間とは
孤独とは
人のもつ思いとは

こうしたテーマについての関数を組み込んだ、シンプルな数式のような作品。

またこの関数には、人それぞれの経験や考えや教養が自由に代入されることになるため、おそらく作品としての成否(せいひ)は、映画の観方に正しさも間違いもないという一般論的なものではなく、導き出された答えの多様さにこそあるのかもしれない。

そして僕にとっては、「まなざし」のもつ自律的な空虚性が、たいへん鋭く描かれているように感じられた。

はじめは、強い思いにとらわれながら、意味や目的や価値をもってそれを見つめていた「まなざし」も、やがては時間を無効化していく永遠という要素によって、意味や目的や価値が失われていく様子が90分のなかに描かれている。

シンプルな構成に対して、長尺にも感じられる時間を使っているのは、おそらくそのためであり、とても効果的だった。また「おばけ」の生態の退屈さによって、観ているこちら側は退屈な痛みを感じることにもなる。それは、他人の孤独につきあうことも同様であり、そのことによって孤独のもつ痛切さも浮き彫りになっている。

もう1人の「おばけ」の描かれ方やその消え方と、ケイシー・アフレック演じる「おばけ」の描かれ方やその消え方に共通しているのは、永遠に引き伸ばされた時間のなかで、意味や目的や価値を見失ったあと、意味や目的や価値を探し出すことそれ自身が目的となっていく転倒だった。

やがて、彼らは自らが存在することの目的を探そうとした先で、その目的の空虚性に行きあたることで、消えていくことになる。

このことからも、人にとっての時間とは物理的な意味での「空間化された」ものではなく、意識の連続性に支えられた心理的なものであることがよく描かれているように思う。そして、「おばけ」たちに象徴されている「まなざし」は、意味や目的や価値が見失われたあとにも、それが何かを探すこと自体を目的化していく、自律的な空虚性をよく表しているように思う。

意味や目的や価値が鮮やかなうちは、意識の連続性という時間のなかに彼らは存在しているものの、その意味や目的や価値が見失われたあとでは、連続性もまた失われる。永遠とは、そうした心理的な連続性(つまり時間)を無効化していくものとして、本作は描いているように思う。

そのように本作は、人がそのなかに生きることになる時間や思いや孤独を、「まなざし」の自律的な空虚性によって、1つの純粋思考(シンプルな数式)として描いたもののように感じる。
青雨

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