SANKOU

羅生門のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

羅生門(1950年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

雨に打たれ朽ち果てた羅生門の姿にまず心を打たれる。ダイナミックな演出と画面の構図がとにかく美しく、最後まで魅入ってしまった。
羅生門で雨宿りをする杣売りと坊さんの前に一人の下人が現れる。「何もかも全く分からなくなった」と繰り返す杣売りの言葉に下人は何があったのかと退屈しのぎに話を聞くことにする。やがて語られる話は、奇妙なまでに噛み合わないある事件の顛末だった。
人の記憶とは当てにならないもので、また人は自分の都合のいいように記憶をねじ曲げるものである。一件の殺人に関してそれぞれ四人が証言するという構成なのだが、見事なまでに当事者たちの証言が食い違っている。
森の中で侍の死体を見つけた杣売りの証言に始まり、殺された侍と一緒にいた妻の姿を見た坊さんの証言と続いた後に、捕らえられた侍殺しの下手人多襄丸が引っ立てられる。
彼の証言は非常にダイナミックだ。木陰で休んでいる時に侍金沢と芦毛の馬に股がった妻真砂が現れ、その妻を物にしたいと思った多襄丸は彼らを追いかける。風が一陣吹いて真砂の顔を覆っている垂れ衣がふわりとめくれ、彼女の顔が露になるシーンはとても美しかった。
騙されて縛り付けられた金沢を前にした真砂が、狂犬のように短刀を手に多襄丸に襲いかかる姿は鬼気迫っていて恐ろしくも美しい。多襄丸に押さえ込まれ観念した真砂が、木漏れ日を浴びながら短刀を落とし、唇を奪われるまでのカメラワークも素晴らしかった。
辱しめを受けた真砂は、多襄丸と金沢どちらか一人生き残った者についていくと心を決める。そこからの多襄丸と金沢のつばぜり合いは、スタイリッシュではないが命を削るような闘い方で迫力満点だ。
最後に金沢の体に刀を突き刺し勝利を手にした多襄丸だが、真砂の姿はなかった。多襄丸を殺そうと狂気にかられたかのように突っ込んでくる真砂に多襄丸は惚れたのであって、この闘いの最中に逃げ出すような女は所詮それまでと興味をなくした彼はそのままその場を後にした。
続いて検非違使の前に姿を現したのは、逃げて隠れているところを見つけ出された真砂だ。彼女の証言は多襄丸のそれとは全く違っていた。
多襄丸に辱しめを受けた真砂は夫にすがり付くが、怒りでも悲しみでもない蔑みの目で彼女を見つめる彼の姿に愕然とする。金沢の冷たい目も印象的だが、そんな目で見ないでと恐れおののく真砂の表情がやはり美しかった。
ショックで気を失った彼女が目覚めたとき、目の前には短刀で自害した夫の姿があった。
巫女の口を借りて語られる死者である金沢の証言もとても奇妙だ。縛られた金沢を前にして、多襄丸に抱かれた真砂は、彼が今までに見たことがないくらい美しい表情をしていた。
一緒についてくるかと聞く多襄丸に、はいと答える真砂。それだけでは済まずに、恥ずかしいところを夫の金沢に見られたままでは生きていけないと真砂は多襄丸に夫を殺してほしいと懇願する。
その真砂の姿を見た多襄丸は激昂し、彼女を押さえつけ、金沢に彼女を生かすか殺すかの選択肢を突きつける。
結局真砂はその場を逃げ出すが、多襄丸も金沢の縛りを解いてその場を後にする。
絶望のうちに金沢は短刀を使って自害する。
これまでの証言はどれも食い違っているが、ひとつ言えるのは証言する当事者にとってそれぞれが自尊心を一番保てるような内容だということだ。
都合のいいようにねじ曲げられた記憶。真相は闇の中かと思えば、実は杣売りは死体を発見しただけでなく、事の一部始終を見ていたことが分かる。
彼の口から語られる証言は、当事者にとって一番醜く浅ましいものだ。
自分の妻になってくれと手をついて真砂に懇願する多襄丸。願いを聞き入れてくれなければ殺すと脅す。
それに対して女の自分には答えられないと返す真砂。決着は男同士でつけようと金沢の縛りを解くが、驚いたことに金沢はこんな女のために命をかけることはないと決闘を拒む。
さらに辱しめを見られたのだから自害するべきだと真砂に迫る。多襄丸も女とはこのように浅ましいものだとなじる。
それまで黙っていた真砂は急に人格が変わったように、金沢と多襄丸を責め始める。
夫なら何故多襄丸と闘い、殺してから自分に自害を求めないか。多襄丸には女は狂気にかられてでも手にいれようとする男についていくものだと詰め寄る。
自尊心を傷つけられて後に引けなくなった多襄丸と金沢はお互いに刀を取り対峙する。
しかし、最初の多襄丸の証言の時のような勇ましい闘いではない。どちらも恐怖に怯えながらの、へっぴり腰で見ていられないような無様な姿である。
真砂も自分で焚き付けておきながら、その恐怖に耐えられず悲鳴ばかりあげている。
泥沼のような状態から決着は着いたものの、多襄丸にもはや威厳はなく、真砂も恐怖にかられて命からがら逃げ出すといった有り様だ。
これが人間の本当の姿なのか。いや杣売りの言うことも真実かどうか分からない。証言が全て終わった後に、今度は羅生門の柱の陰から赤ん坊が泣き声をあげる。
話を聞いていた下人は、赤ん坊に着せられた着物を剥ぎ取り盗もうとする。
それを止めようとする杣売り。しかし下人はどうせ自分が盗まなくても誰かが盗むに違いない。悪いのは自分ではなく赤ん坊を捨てた親だろうと理屈にもならない言葉を返す。どいつもこいつも自分のことしか考えないと憤る杣売りだが、彼も実は真砂の短刀を盗み出していた。
お前に俺を裁く権利があるのかと着物を持って立ち去る下人。ただ一人人間の善意を信じ続ける坊さんだけが哀しく赤ん坊を抱いて立ち尽くす。
しかし、この坊さんも赤ん坊を抱こうとした杣売りに対して、この子の肌着までも盗もうとするのかと怒りをぶつける。
しかし、杣売りは自分には六人子供がいて、一人増えるのも一緒だとその赤ん坊を引き取ろうとしたのだ。
人の善意を信じながら、一瞬でも彼を疑ってしまった坊さんだが、赤ん坊を抱いて羅生門を去る杣売りの姿に一縷の希望を託すのだった。
非常にショッキングなテーマを持った作品だが、殺人だけでなく、飢餓や病気で沢山の人が死んだ時代の話であり、皆生きていくだけで必死だった。今よりもずっと人に対して思いやりの心を持つことが難しかった時代なのだと考えさせられた。
それだけに最後の終わりかたには救いがあった。朽ちてもなお荘厳な羅生門だが、二階に上がれば死体のひとつやふたつゴロゴロしているというのが、想像するととても恐ろしかった。
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