昼行灯

テオレマの昼行灯のレビュー・感想・評価

テオレマ(1968年製作の映画)
4.0
これは素敵なオムファタール、、女だけでなく男だけも翻弄してしまう、、突然の出会いと別れが自然すぎてびっくり。家族の破滅パートが半分くらい続くのが意外だったかも。意外と美青年の翻弄パートは短い。

それぞれの破滅の仕方もおもしろい。お母さんとお父さんはまだ青年の面影を市中の青年に探し求めてるけど、娘はちょっと可哀想。使用人は人外というか神的な存在になってしまう。空中に浮いた時は面白すぎて笑ってしまった。まだ父母が苦しみの渦中にあるのは、2人がブルジョワだからなのかな。使用人(プロレタリアート)と娘(聖処女)は転生?

美青年に出会うまでが白黒パートで、美青年が画面に現れたところでカラーに切り替わるのあからさますぎた🤭退屈な日々が色づいて良かったねという。そう考えれば冒頭のカラーパートは破滅した父が勢いの余り、財産である工場を手放したという解釈もできるかも。ブルジョワがどう生きるべきかって確かに大きな問いだと思う…

そんななかで結構翻弄するでもなくされるでもない郵便配達員が重要な存在のようにも思えてて、彼はなんだったんだろう。1人だけにこにこと陽気なキャラで、歩く様子は手を大きく動かしてて、まるで鳥が飛んでるようでもあった。知らせを運んでくるという意味でも伝書鳩的な感じもあり、純粋に使用人に恋しているような、、?天使?

前半は美青年を見る家族らの視点ショットが多かったけど、後半はロングショットが増えてきたところに、パゾリーニのポエジーとしての映画の影響を受けて書かれたドゥルーズのシネマを思いみた。つまり、前半は家族が主体性を持ってるのだけど、後半はもはやカメラが人物主体じゃなくなっていると。きっと、ブルジョワらからしたら美青年を失った喪失感で時間が何倍にも感じられるだろうけど、あくまで映像では時間が時間のままで存在してる感じがあった。
一方でポエジーとしての映画で言われてることはあまり感じられず、、主観ショットはテオレマを見るブルジョワらのフェティシズムが投影されてるだけのように感じたがどうなんだろう🤔
昼行灯

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