タンシロ

ピザ!のタンシロのレビュー・感想・評価

ピザ!(2014年製作の映画)
3.6
貧富の差を問題にした映画ではあるが、貧富の差を問題にしているのは、富める側だけではないか?というニュアンスを含んでいるやもしれない興味深いインド映画。

これはスラムに住む少年二人が、ピザ食べたさに奮闘していく話。
だけどそのピザは1枚300ルピーもする。
スラムに住む人の300ルピーとは、大人一人が一ヶ月精一杯働いてやっと得られる程度の金額だ。

少年二人はありとあらゆる手を使ってなんとか300ルピーを手に入れようと奮闘するのだが、それは言葉通り何がなんでもであり、いわゆる犯罪や盗み同然の行いでお金をためていくこととなる。

もともとは近くの鉄道沿線に落ちた石炭拾いで小金を稼いでいたのが、いつの間にか倉庫の石炭置き場に入り、それを売るという行為で効率よく?お金を稼ぐことになる。ただ、少年二人にはまったく悪気はない。ものごとの善悪の指標がそもそもないのだ。

犯罪同然のやり方で300ルピーを稼ぎ、ピザ店へ入ろうとするも、警備員から押し返される。スラムの人間には金があっても売れない。そういうことらしい。

少年二人はなぜ自分たちがスラムの人間だと警備員にバレたのか不思議に思った。
このあたりの心象もすごく興味深い。少年たちが特段傷ついたり、自尊心を失ったというような描写がここでは描かれていないのだ。

ここで少年が自尊心を傷つけられるシーンは2つだと思う。
①学校にいけるような裕福な家庭の友人から食べかけのピザを譲ってもらおうとしたとき。
②ピザ屋の店長から頬をぶたれたとき(貧富の差は関係なく単に大人から打たれた点で)

ここで面白いのは、少年たちやスラムの人間は、貧富の差があるのについては「そういうものだ」と受け入れており、裕福な暮らしをしている側は、貧富の差について「あって然るべきではない(建前)」と考えているところだ。

ここでこの違和感を覚えていなければ、最後のピザ屋でピザを頬張るシーンで予定調和として裏切られるような展開に混乱する。

日本的な価値観でこの映画を観ていると、予定調和としては最後にピザ屋に招かれたときには、オーナーの手を払い除け、「俺たちはお前らの店には入らない!」とか、「招かれなくても、自分たちでちゃんと金を払って、好きなときに行く!」とかそういう話に落ち着くと思う。懲悪勧善の目線でどうしても観てしまう。

だけどこのインド映画は違う。少年たちも、少年の親も、富める側の貧富の差フリーのパフォーマンスともいえる差し出しを、ありがたく受け取るのだ。
しかもオーナーから食べさせてもらいまでし、目を閉じてそれを咀嚼すらする。

つまりこれは、富める側が過剰に「貧富の差」に反応し、貧しいものには手をさしのべなければならない、虐げたり貶してはいけないという感情を勝手に抱いているだけで、貧しい暮らしをするスラム側は強かにその暮らしを全うしており、富める側の意図は意にも介していないという皮肉になっている。

これは2020年現在の日本におけるジェンダーや障害者に対しての目線に似たようなものもある。チェリーピッキングとか、エコーチャンバーとか、そういった現象によって、思い遣る側が勝手に思いやって自分たちの首をしめるという滑稽な状況を揶揄しているように思えてならない。ま、この映画にそんな意図は絶対にないだろうけど。

インドの当時の価値観に少し触れられた、そんな貴重な鑑賞体験だった。
タンシロ

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