いしくら

コロンバスのいしくらのレビュー・感想・評価

コロンバス(2017年製作の映画)
4.6
 何もかもうまくいく、不自由のない人生。そんなものは多分ありません。誰しも、辛い時期や不条理や不自由に喘ぎながら過ごす時期はあるのではないでしょうか。そんな時に心に寄り添ってくれるものこそが、芸術なのだと僕は思います。傷ついた心を癒し、寄り添い、自分の世界を広げてくれる。そんな芸術があるからこそ、年齢や性別、人種を飛び越えて、僕たちは感情を共有することができる。ちょっと綺麗事がすぎますかね。

 『コロンバス』は、アメリカのインディアナ州にある実際の街の名前。この街はモダニズム建築の代表作が数多く立ち並ぶ街。とか言っちゃってますが、僕はこの映画で初めてコロンバスという街を知りました。

 この映画は韓国系アメリカ人のジンと、コロンバスで生まれ育った女の子ケイシーが主人公なのですが、同じくらい圧倒的な存在感を持っているのが、映し出される建築物たち。計算され、徹底された画の美しさに驚嘆し口をあんぐり開けて見惚れてしまいました。監督のコゴナダも、韓国系のアメリカ人。名前は、なんと小津映画の多くの脚本を手がける野田高梧から命名したとか。コゴナダ監督は小津やブレッソン、ヒッチコックをモチーフにしたビデオエッセイを作っているらしいです。なるほど確かに『コロンバス』もそこはかとない小津の影響を感じます。というか、白い帽子が出てきた時点でニヤついてしまいました。

 本当に映像が素晴らしい映画で、特に計算された水平な画が神がかっています。美しいモダニズム建築は、映せばそりゃあ絵になるのですが、表象的な美しさを表現するために使うのではなく、ジンやケイシーの心象風景として捉えられます。人物の心が、建築物で表現される。すごい。
 印象的だったのは、ケイシーが建築物の説明をする時の「あえて中心をずらし左右非対称にしているが、バランスがとれている」というセリフ。これはそのまま主人公二人の姿に当てはまるのです。

 ケイシーが「この建物が好き」と言い、ジンが「なぜ?」と聞き返すシーンがあります。すると、ケイシーはガイドのような説明をし始めます。「この建物のここが当時としては新しく……云々」。ジンは「おーい」と手をふり、「君が、なぜ好きなのかを教えてくれ」と言います。すると、ケイシーは嬉しそうな顔で、目を輝かせながら自分がなんでこの建築が好きなのかを語るのです。そのとき、なんと音と声が消えます。なんてニクい演出。観客が聞きたい部分をあえて抜いてしまうのです。そうすることによって、僕たちは、ケイシーはなぜこの建築が好きなのだろう、と考えを巡らせます。なんて素晴らしい余白の使い方だろう。とても感動しました。
 
 別のシーンでは、ジンはケイシーに建築を好きになったきっかけを聞きます。ケイシーは人生の辛い時期に建築物を眺めていて、癒され、その美しさに魅了されたのだと言います。僕はこのシーンを観て涙がこぼれそうになりました。まるでケイシーが僕の事を話しているように思えてしまったのです。自分の人生における辛い時期の苦しさや、その時に芸術にもらった癒しや感動を思い出しました。

 何度でも言いますが、静謐な空気を纏った映像が本当に美しく、僕は終始心の中で「まじかよ」と言ってました。ただ、この映画は美しい映像をダラダラ見せられるだけの映画ではありません。軸になるテーマがあり、それが物語の推進力になっているのです。それは、“別離”です。
 ジンとケイシーはどちらも親に囚われており、そしてそれぞれが訪れる別離と対峙しています。ケイシーに直面しているのは、子供から大人になり親元から離れて暮らす第一の別れ。ジンの方は、親の“死”という別れ。二人は対話をすることで、自分が何をすべきか、別れとどう向き合うかを見出します。
 この映画が圧倒的に新しいのは、街の風景がただの背景になっておらず、物語や二人の心情を語るところです。もはや、街が登場人物の一人なのです。

 派手さはないかもしれませんが、僕はこの映画のような、人の繊細な心の動きを捉え、隅々まで抜かり無く丁寧に創られた映画がとても好きです。最後にひっくり返してしまうようなことを言ってしまいますが、建築がどうとか小津の影響がどうとか、そんなことを言わずとも観る価値のある傑作だと思います。

 コゴナダ監督の自作はなんとA24の製作とのこと。めっちゃくちゃ楽しみ。
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