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セロひきのゴーシュ
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『セロひきのゴーシュ』に投稿された感想・評価

✔❨神保まつえ集❩『セロひきのゴーシュ』(3.7p) 及び『くつやとこびと』(3.5p) 『もりのおんがくたい』(3.5p)『しろいぞう』(3.6p) 『泣いた赤おに』(3.6p) /❨城田孝子集❩『おなじ太陽の下で』(3.4p ) 『結婚する娘でー父の愛』(3.5p )▶️▶️

 神保は高名な学研アニメの中核を成す人で、今回の五本の纏めでも、過半は目にしたことがあるのは、やはりポピュラーな存在なのだろう。学研の表現の頂点を創り上げたのは別人としても、基盤を固め·表現の可能性の模索、確かな信頼を創り上げたのはこの人なのだろう。
 ①割りと途中で切上げた様な、押し付けがましくないストーリー②(真)俯瞰から仰角·前景ぼかし·CU、ら豊かで確かな過剰な位の立体力③(空撮含む)前後や横や上下の長め移動④(窓越し)影絵や影の利用⑤対象を暫く白化させる様な光線⑥一方·家屋らの床や細部は強く暗めの原色光が艶持って染上げる⑦草や樹木の針葉の覆い·川らの水面の割付·または動物の造りの細部の奇妙尖りら·細かく強く刺さってくるイメージ散りばめ⑧街並みや道のクリアで手を抜かぬ作り⑨ストーリーより歌や踊りの慎まし晴れやかが前面に、といった一貫特色を持つ幼児向けを1つ越えた作家人形コマ撮りアニメで、人形の造りは、トルンカに倣ったか表情は固定め·根っからのキャラ中心で、柔らかい詰めものをしたような造りで特に凝ってない間に合わせ感がよく、コマ自体の動きも細かく緻密というより、好ましくゴテゴテしている。その分、カットの割り方·作り方が、この種の映画としては考えられない程、直接の意味を越えて細かく丁寧だ。そのニュアンスにストーリーの含みめ引っ込んでしまう。
 『~ゴーシュ』はその中でも、暗さ·鮮やかさ·場面転換·キャラら、全てに強く広く、ステージ練習中での指揮者らの叱責、自宅1人練習に割り込む、公演よりも私的響きで彼の音楽を信奉師てる、小動物らの介入による、寄り道の持つ余裕獲得、そして公演の成功。此れは3本目に観たが、1本目は、『くつや~』。あっさりめも、好感や小人らのリズムとバランスは伝わりくる。自身貧しいも、より貧しい人に施した、老靴屋夫婦が、連夜·小人らの高等靴造りのこっそり御礼を受け、豊かさと互いへの親密を得てく。『~おんがくたい』は役立たずと捨てられた、馬·猫·アヒルらが、泥棒アジトとに偶然辿り着き、重なってのオバケ影作りで、懲らしめ追出し、自身らの安寧にも辿り着く、割りとアップダウンのうねりある作。『~ぞう』は、穏やか平和主義で、盲いた母像への思いやり·尽しを貫く象の世界の王の話で、捕まえた人間等も反省·同化させてく。内も外もスケールが拡がる。『~赤おに』は、日本の風土と特有の人を恋うる寂しさ·自己犠牲を、大袈裟でなく、辿々しく親身に描ききってる、キャラと心理·行動が一際丁寧な作。
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 女性監督のプログラムが、もうひとつ。望月優子と城田孝子の中編作だが、時代的なものか、肌触りの直截さと、飾りない力強さは共通してる。望月作品『同じ~』は彼女の思想的立場に近い作で、戦災孤児や戦後の父母見放し混血児らのホームから、5年の年齢を1年下げての、村の小学校に通わせる試みの、まず2人からも、級友や父兄に、差別·警戒の偏見·反応は収まらない、を扱う。喧嘩·暴力絶えず、我が子かわいい父兄の猛反発。楽しみ2してた江ノ島遠足も、その圧力で2人は外されるが、悩む間の教師の、急先鋒父兄外説得廻りで予定通りに。しかし、江ノ島にも付いてくる父兄や、差別あからさま現地不良に、黒人兵に寄付り添ってく1人。女教師は、血の違いを越えた社会全体の責任の問題と、を父兄に強く問い、圧力を正し、クラスも活力で流動し始めてく。
 望月の演出は、陰影に富み、そのアングルやサイズの仰角から俯瞰の急なのを組合せ、自然の林や浜を活かしての力と自由さある移動の力感、半端な妥協なく地方と時代の地勢に縛られたキャラらどそれのあからさまな対照、簡単に他者を迎え入れないリアリティ、が実にしっかりし、多くが自分を貫こうとして引きこもりを見せてもしまう弱虫である。それでも、互いに残り合うものをぶつけ合うと、公平論理とは違うものに、少し行き着いてく。それ以上には書けないが、行く末見定めは捨てられてない覚悟がある。
 もう一本『結婚~』は、それぞれに明確でブレなくも、新しい価値観や視野受入れに不器用な人たちの、挫折と変化·拡がり認めの芽、変に映画性に傾かず、ひたむき·着実な絵の取り方·組み方·俳優の本音出し、等に感心していったが、後で’70年代作品て知って、少し驚いた。この人物等の純真さ·精神の疲労·病みの無さに、その10年は旧い作と観ながら信じていったからだ。
 母を数年前に亡くし、父だけの家庭も、鍛え上げた鉄鋼職人の父の工場の食堂勤めも、全てにはっきりした濁りない性格の好感も高い娘の相手に、父は自分と同じタイプの一途誠実な目をかけてる男を選ぶも、あくまで自分の目で判断としながらも、それぞれの思惑や姿勢は大きくずれ込み、家出や作業中怪我を招いてしまう。しかし、父の事を最優先に伝えに来てくれた、父の見込んだ男に、娘の見る目も変わってくる。
 お膳立てのない、率直で作劇の甘さや隙のない演技の噛み合い·やり取り·ニュアンスと、それに沿う、職場·家庭·人間関係·自然や緊張感ある扱う機械や心理、の噛み合う図やデクパージュの力·飾りなさ·本物の1つ奥の表現に、感動させてくる、作。闇や陰の不安を吹きとばすクリアを貫く、当面の齟齬を覚悟する力がある。
ナツ
3.2
1963年製作『セロひきのゴーシュ』
学研がストップモーションで製作した
ショートフィルムである。

チェリストのゴーシュは楽団の落ちこぼれ。
公演が近い練習日にも指揮者から頻繁に
ミスを指摘されている。音階、リズム、
そして感情表現がダメという有様である。
しょんぼりと家に帰って自主練をしていると
1匹の猫がやってきてトロイメライを弾けと
言ってくるが嫌がらせをして追い返す…。

宮沢賢治の有名な童話を人形劇で映像化。
なお、約20年後に高畑勲が映画化するなど、
これまで多くの映像化作品が作られている。

本作はショートフィルムとなっており、
ゴーシュの苛烈な性格は抑えめである。
かっこうがあちこちぶつけて流血しながら
帰っていくところなどはちょっとした
ドタバタ程度におさえてあるし、
狸に対しては『早く帰れ』と言うに止めて
『狸汁にしてやるぞ』という原作の発言は
カットしてある。

おそらくは子ども向けに作られたため、
ゴーシュが怖い人であるという印象を避け
動物たちとの楽しい音楽レッスンの場面を
よりクローズアップさせたかったのだろう。

また、アンコールの場面は素直に受け入れ、
原作の『馬鹿にされていると感じる』という
心情もなく、全体的にゴーシュが素直。

逆に考えれば、原作は童話の主人公としては
ゴーシュの怒りっぽい性格は少々珍しい。
その割に動物たちが自分の元を次々に訪れる
現象はすんなり受け入れているところが
何とも言えないおかしみがある。

埋もれてしまいそうな古い小さな作品を
ふと見つけて鑑賞できるのもよい機会だ。
派手な洋画の合間にこんなものを見るのも
一興である。
ひ
3.8
まだ原作は読めていないが、とても分かり易い物語だった。

初めは何クソと躍起になって練習していたゴーシュの元を色んな相手が尋ねてくる訳だが…「なんなんだ?」と思いつつ、彼らと対面して会話をしていく過程で、自分でも理解していなかった自分を知ることになる。本当に貴重な経験だ。

面白かった。