ノットステア

born、bone、墓音。のノットステアのレビュー・感想・評価

born、bone、墓音。(2016年製作の映画)
4.5
○OCVB 沖縄フィルムオフィスの公式YouTube
https://youtu.be/MkA2mK22wdQ?si=X5ZGeIibLx2u-eZ9
https://youtu.be/Iwjvm3D9ZjI?si=NeAKWKyM3BVgAfrB(英字幕ありver.)
※「沖縄フィルムオフィス(以下沖縄FO)」とは、一般財団法人沖縄観光コンベンションビューローが運営するフィルムコミッション。ロケ地探しや許可申請にかかる情報提供、上映イベント等への協力など、撮影に関する様々な支援を行っているらしい。



○きっかけ
最近知り合った方に、沖縄出身の方がいる。
その方に『洗骨』という作品をオススメしていただいたのだが、まだ観ることができていない。
サーターアンダーギーをいただいたので、疲れてるけど、せめて沖縄の作品を、、、と思って探したらこの作品を見つけた。
洗骨という言葉、初めて知った。
洗骨(せんこつ)とは、土葬や風葬にしたご遺体を、何年かしてご遺骨だけになった頃に、遺骨をお酒などで洗い清め、お墓に埋葬する習わしのこと。
それに、沖縄国際映画祭が今年で最後だということも知った。今まで気にしたこともなかったけれど、なんだか最後と聞くと残念な気持ちになった。



○OKINAWA FILMOFFICEサイト 紹介文
ストーリー
新婚の等は、嫁・優子を紹介するため、故郷の粟国島に帰ってきた。
しかし、本当の帰郷理由を告げた途端、優子は大激怒。「東京へ帰る!」とわめきちらす。
その理由とは、島で受け継がれてきた風習「洗骨」だったのだ……。
言葉を失った母、頑固者の兄、心を閉ざした連れ子の娘……そして父親の骨。
バラバラだった家族が、骨を洗う儀式を通し、本当の自分と出会うハートフルコメディー。
粟国島に今なお残る「洗骨」というシリアスなテーマが、ゴリ監督の真骨頂である「笑えて泣ける」コメディーとして、心にしみる作品に。
https://filmoffice.ocvb.or.jp/works/s_012/



○感想
ご遺骨を取り出し、洗う。ご遺骨が最初画面に映し出された時、自分が亡くなったらということを嫌でも考えてしまい、辛く悲しく不安な気持ちになった。
その後、丁寧にご遺骨を洗う登場人物たちの姿を観て、心が洗われたような、安らかな気持ちになった。

笑えた。骨を洗うというんだから、なんでコメディなの?って思ったけど笑った。
等(ゴリ)が頭をひっぱたかれて痛がるところで笑った。

等の兄は優子(佐藤仁美)に洗骨に参加するよう強要する。兄と嫌がる優子に挟まれた等は無理に参加しなくても、、、と考える。
優子はミイラにしていることを犯罪なのかと怖がるシーンもある。そりゃ知らなかったら仕方ない。なぜ実家に連れてくる前に話さなかったのか。



○印象的なセリフ
等の兄と同い年のタエコ「仙骨って自分を洗っているんだと思います。結局、先祖は自分です。」

酔った兄「明日、おとうの姿見るの、こわいなっ」



○鷲田清一(1998)『悲鳴をあげる身体』PHP新書
ひとはじぶんの生命をみずから創りだしたわけではない。ひとはみずからの生命をじぶんの手で閉じることはほとんどできない。いや、日々生きることそのことが、他人に世話され他人を世話するという相互性のなかにある。そのかぎりで、少なくともこのわたしの身体は、わたしだけのものではない。ということは、この生命はわたしだけが決しうるものではないし、決すべきものでもない。生命はその全体を特定の人称のうちに局所づけることはできない。特定の身体に座をもつ生命の行く末は、その生命を生きる者、そのいのちに与る者たちのものである。
その身体が死体となったとき、その生命そのものであるひとがいなくなったときは、その生命をともに生きた者がその生命を亡きものとして認める。その行為をまってやっとある生命は終わる。その過程でその身体を献体するか焼却するかは、その身体をともに生きた者が納得づくで決めることである。献体が納得できなければ、あるいは納得できるまでに時間が要るのなら、しなければよい。お逮夜とか四拾九日、百ヵ日、納骨、一周忌などといった葬送の儀礼も、そういう納得、そういう感情の鎮め、そういうこころの収めかたをしうるための智恵であるように思う。間身体性としてのいのちのつながりには、思い出とともに、時間が洗い流してくれるこだわりやもつれというものがあるのである。
pp.188-189