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ライオン・キングのEDENのネタバレレビュー・内容・結末

ライオン・キング(2019年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

08/18/2019

“This is the story that is need to be told, now, again and again” というのがまず思ったことだった。

4DXでみたけど、最初は椅子が動いたりボコボコなるのが慣れなかった。それは、画面の中の登場人物、例えば鳥なら鳥、ムーならムー、シンバならシンバが動けば、その分椅子も動くのだが、それだと自分の中でどのキャラクターを一人称にするのかが決められないということでもあるからだと思う。もちろん、複数のキャラクターが一人称になるわけだけれど、場面場面によって自分が感情移入するキャラクターは自分で決めたいわけだから、それを決められているようなんとも落ち着かなかったからかもしれない。とは言っても、ムファサがシンバを助けようとムーの大群に向かってくるあたりから、完全に感情移入して、違和感はまったく感じなかった。

内容は「Life of circle (命の環)」から始まり、最初から、素晴らしかった。特に、ムファサがシンバを助けに向かってくるシーン、ムーの大群からシンバを救うシーン(そのとき私の心には、ムファサがその前にシンバに言っていた、「お前を失うかもしれないと思ったとき、怖かった」という言葉が浮かび上がってきて、涙を流した) 、そしてシンバが故郷に戻ることを決断するシーン、戦いのシーン、そしてナラがブンヴァを食べようとした時にシンバがナラを制止しようとしたシーンは、涙を流しまくった。それらのシーンに含まれていたのは、勇気。勇気とKindnessはもしかしたら別々のものではないかもしれないけれど、私に足りないのは、勇気、Braveness. 責任や勇気と言ったことに対して、大学2年になってから特に考えるようになった為に、このBravenessという言葉は、観ている間ずっと私の頭の中を駆け巡っていた。Circle of lifeもそう。繋がっている生命。永遠ではない命だからこそ、環っている。長い長い歴史の中で、一つの生命はほんの一部かもしれないけれど、そのことを認識したうえで、さて、私はどう生きるか。この生の中で、何ができるのか。世界に踏み出すこと。傷を負うかもしれない。もちろん、死にたくはないし、防げる傷はもちろん知恵を使って防ぐけれど、傷をできるだけできるだけないようにするために踏み出すことによって私が誰かに与えることができるものを、諦めることは、もうしたくない。
(傷はもちろん防げるなら防ぐべきだし、傷があるからこその成長、などは傷を受けてしまった場合に思うことであり、最初からそのためにゆるゆるの状態でいるのは、逆に自分に対しても、自分の周りに対しても、尊敬がないことであると思う。これはいつも極端の概念に左右されないように心に止めようと、きちんとバランスを自分の中でとるために、自分に言い聞かせていること。何が勇気で、何が無謀なのかを、自分の中で脳を使って判断することは大切。)

世界に踏み出すということ。自分という存在がある限り、そしてその存在自体に最大限の価値を置いているからこそ(それは生まれてきた命全てがもっているもの)、自分をどう使っていくか。(ここであえて、「使う」という表現を使った。自分の存在は道具なんかではないことを知っているからこそ、逆に自分が何をできるのかの方を考える、)

最初にも書いたけど、もう一度書かせてほしい。THIS STORY NEEDS TO BE TOLDだ。ジブリなどもそうだけど、子供のころ観ていたものを、もう一度みると、子供のときとは全く違うことを考えさせてくれるし、私が人間としてどのように生きたいのかを、もう一度見つめさせてくれる。

「ウォルト・ディズニー」の文字をエンドロールの最後にみたときに、込み上げてきたものといったら!彼が人々に「夢」を与えることによってしたこととは、人々が毎日起きあがる、生きる、世界に踏み出すものを与えたということ。それは、ラグジュアリーではなく、生に近い部分に存在するものであると思う。途中までのティモンとプンヴァのようにニヒリズム的な感じになること、私もあるし、というかニヒリズム的になることで傷つくのを恐れている自分がまだいる。でもそれで、楽しいのか?と自分に言いたい。でも、ティモンとプンヴァは、動物界のなかで無視されていた存在だったのだと思うし、だからこそニヒリズム的な感じになってしまったのかもしれない。ニヒリズムについて考えてみたい。ニヒリズムは、人生を客観視しようとすることと繋がっているような、全然そうでもないような気がするから。。。。

映画として一つ言うなら、青年になったシンバの声が少しコメディアンっぽく聞こえた(でも途中シンバの決心から声が急に深くなったから、あれは役者の意図だったのか?)のと、最後戦いの終わりから、シンバとナラの子供が掲げられるまでが早すぎた。アラジンとか、ナルニアみたいに、お祝いの宴とかがあったほうがよかった。最後、最初と同じで 「LION KING」の文字がパンっと出るところは、映画「RAW」と一緒で、そのふたつの映画が違いすぎるために少し私には混乱的だった。

でも、素晴らしい映画だったし、何よりもこの映画をこの時につくろうと思った監督に拍手したい。
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