MasaichiYaguchi

ボヘミアン・ラプソディのMasaichiYaguchiのレビュー・感想・評価

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)
4.5
高校から大学へかけて、ある時は昼休みの校内放送であったり、ある時は学園祭の軽音楽部の演奏であったり、そしてドライブ中のラジオからであったりしたが、当時、私の身近な存在として「クイーン」の音楽が常にあった。
映画的な演出は多少あるかもしれないが、主人公のフレディ・マーキュリーをはじめ「クイーン」のメンバー、そしてレコーディングやコンサートをここまで〝蘇らせる〟と、一気に当時に戻ってしまって登場する数々の楽曲を一緒に歌いたくなる衝動に駆られる。
映画では特に触れられていなかったが、「クイーン」は欧米で人気が出るより先に、私の当時のガールフレンドをはじめとして日本の若い女性たちを中心に人気に火が付いた。
だからアルバム「華麗なるレース」には一部日本語で歌う「手をとりあって」という曲や、日本独自のベストアルバム「ジュエルズ」さえある。
日本の若者たちに愛された親日家ロックバンドなのに、私は本作を観るまでフレディ・マーキュリーが抱えた深い孤独や、そのことによってロックバンドとして世界的に成功して栄光に包まれながらも、彼が疎外感に苛まれていたことを初めて知った。
この作品では何度も〝家(ホーム)〟という言葉が出てくるが、描かれたフレディ・マーキュリーは常に自分の〝心の拠り所〟を探し求めていたように思う。
だから自分の出自やセクシャリティというバックグラウンドを背負いながら、そのことに惑い、葛藤し、時に落ち込んで膝を抱えながら、楽曲の創作に向き合っていたのがスクリーンからひしひしと伝わってくる。
だから、そういう倒けつ転びつの果てにフレディ・マーキュリーが見出したものやその境地、そこを再出発とした終盤で展開する〝21分〟には魂が震え、嗚咽を抑えることが出来なかった。
この映画はスーパースターの半生ドラマだが、七転八倒する青春は誰の心にも届く熱いものがある。