城定は実は日本映画(しかも定番)の圧倒的ファンではないかと思う時がある。
以前「派遣家庭教師の事件簿」を観たとき、「これは黒澤の『羅生門』ではないか」と思ったものだけど、それを鑑みて観ればこの作品は城定版「生きる」だと勝手に思っている。
いや人は「死」に向かった時、「自分の正しさ」を追い求めるが(それは死そのものが終われば全て無くなるからだけど)、この映画でもそう。死に直面した時、この映画では「美しい息子の嫁」を助ける。当然ポルノだけど、そこの優しさに僕はいかれてしまう。この映画では実は嫌な奴は一人も出てこない。不倫相手の元上司だって最後は「彼女のことを思う」。それは最後には「優しくあるべき」(どうせいなくなるんだから)と言うテーゼがあるからだ。
結構いろいろなシーンが好きだ。でも一番好きなのは不倫相手が別れるときに「しゃぶってくれ。それで別れよう」と言うシーンだ。いや非道と思うじゃない。でも違うんだ。彼は「君の中でいい思い出のまま別れたくはない」と言うんだ。そう、彼は自分をあえて悪役にすることで(永遠の悪役だ)彼女を救おうとする。
それは亡くなる老人も同じだ。彼女を救うために彼女を「抱かせろ」と言う。でもそこで関係はねじ曲がる。彼は「立たないから無理なんだ」と言ってすんでのところで彼女を放置する。それは本当だろうか。実際彼が「勃って」いるシーンはある。そう、彼はそういうことで(自分のもとでなく)彼女を救おうとする。彼女を元の貞淑な妻でいさせるようにする。
さらにそんな男たちの「優しさ」を主役の天使もえはわかっている。でも彼女に出来るのはそんな男たちの「優しさ」を受け入れるだけだ。そう、この作品で不倫相手の男は、さらに老人は自分を礎として彼女を救おうとするのだ。それは黒澤の「生きる」と同じじゃないか。志村の行動は公園をつくる。でも志村は。そう、彼はそのまま死んでいった。ここで自己犠牲の美しさが見える。それはベタながらも琴線に触れるシーンだ。この映画がポルノだと言うのに何とも優しく、美しい理由は(いや天使もえも十分に美しいのだけど)、だれもがベタに思っている「自己犠牲の美しさ」にあるんだ(それはポセイドン・アドベンチャー的であり、恩讐の彼方的でもある)。定番なテーマではあるがそれをこんな映画で魅せるのかと突っ込みたくなってしまう。
黒澤は言う。「見て言葉に表すことが出来なくても何かいいと感じてしまう、それが映画なんです」。その言葉はそのままこの映画にも当てはまる。
※ちょっと褒めすぎだと書いて苦笑してしまったけど、僕は嫌いではない。今作のテーマがあまりにベタなんで恥ずかしくなってしまうことを置いておいてもだ。
※天使もえの演技は初めて見たけど、十分魅せる演技をしてくれた。相変わらず城定映画は濡れ場より、困った顔のシーンやすっとした立ち位置のシーンがいい。天使もえと老人がボートを漕いでいるシーンは往年の吉永さゆりのシーンを思いだしてしまった。あ、やっぱり褒めすぎだ。