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春の夢のアバダケダブラ屋のレビュー・感想・評価

春の夢(2016年製作の映画)
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何か越しに映る人間のこの世ならざるもの感が作品を通して怖い。そしてそう感じることはおそらく正しいように思える。


夢と現実の隣接。
例えば無人の車椅子が坂から転げ落ちるシーン。あれはおそらく夢だが、その後実際に車椅子に乗った父親が坂道を転げ落ちるシーンがあったりする。


微睡の象徴としての父親。ここではないどこかにいるかのよう。そんな父親が時折ヌッと現実世界に顔を出してくるのが怖い。隣り合わせ。お前ってどっちなの???正気なの???
イェリと父親の姿が重なるカット。庭先やお風呂。
ジョンボムと父親の姿が重なるカット。車椅子。
これはラストの展開への伏線でもある。
そしてこの2人こそ最初から何か越しに撮られていた2人でもある。最初からこの2人はどこかこの世ならざるもの感を持ち合わせていたし、ここではないどこかへ行ってしまいそうな危うさをはらんでいた。
写真屋で撮ったイェリの写真。レンズ越しに映る彼女の姿は。。。


テーマは隣接性、つまり曖昧さ。
モノクロなのはそういうことかな。イェリの死が明らかになった瞬間にカラーに変わったのはまさに。そして同時にこの瞬間に父親は正気であったことも判明する。
ラストもそうだね。2人の背後には立ち入り禁止の変電所が。。。常に隣り合わせ。


徹底的に計算して撮ることで逆説的に曖昧さがより際立つという。この監督好きだ。