レインウォッチャー

ユー・ガット・メールのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ユー・ガット・メール(1998年製作の映画)
4.0
遠い昔、『ゴッドファーザー』のうんちくがまだギリ許されていた銀河系で…

監督/脚本のN・エフロンと主演M・ライアンの鉄壁ロマコメタッグは『恋人たちの予感』『めぐり逢えたら』に次いで3回目(※1)、まさに阿吽の呼吸ってところなんだろうけれど、この3作を通して様々な《ズレ》の形の表現に挑戦してきた感がある。

たとえば『恋人たちの予感』では時間(タイミング)が、『めぐり逢えたら』では距離のズレがあるために、主人公たちの恋はなかなか結実しない。この時間と距離は、それぞれ時間=精神、距離=物理、と言い換えても良いかもしれない。

そして今作では、電子メールというツールを挟むことによって、この物理と精神がかけ合わさったような複雑な捻じれを生んでいる。
出会っているようで出会っていない、わかり合っているようでわかり合っていない…むろん、この《ズレ》は恋の道行きを盛り上げるのに不可欠な障害として機能するわけだけれど、同時にコミュニケーションの本質に迫っている。物理面だけでも、あるいは精神面だけでも解らないことは多くあるということだ。

それでも、結局終盤ではジョー(T・ハンクス)のほうが一方的なアドバンテージを得るのは、今の目で観るとなんだかんだオトコフレンドリーに作ってあるように映る。

ていうかそもそもこの男、

・よく知らないうんちく(『ゴッドファーザー』の件)に拘る
・長文アドバイスを嬉々として送る
・相手が好きと言っているもの(『高慢と偏見』とかジョニ・ミッチェル)を批評

という、どう考えても禁じ手即死コンボをキメている(※2)ように思えるのだけれど、これはWhat the…?むしろ今作がヒットしてしまったことによって、全世界のメンズは更に20年以上誤解し続けることになってしまったのではなかろうか。

しかしこれ、逆に考えると、N・エフロン女史の巧妙な罠なんじゃないか、って気もしてくる。なにせ『恋人たちの予感』のあのキレ味、そしてずっと《ズレ》を探求し続けてきた彼女であるからこそ、男性優位の映画界で表面上通る企画に仕立てておきながら、実は掌の上だったなんてこともあり得るじゃあないか。
あの誰もがときめく春のラストシーン、カメラが虹の向こうへと上がりきったその直後から、キャスリーン(M・ライアン)の真の復讐が始まるのかもしれない。そう、『高慢と偏見』でも女性陣の方が常に現実的で計算高かったように。

残念ながらエフロンさんは既に草葉の陰にいらっしゃるため、真意はわかりようがないのだけれど…
確かなのは、それでもやっぱり当時はまだ余裕のある時代だったのでは?と思ってしまうことである。なぜなら、われわれメンズは転がされつつ夢を見ていられたのだから。今はオブラートに包んでもくれなくて、『バービー』でストレートに怒られるしかないわけでしょう。

ここで、オープニングに流れるハリー・ニルソンの『The Puppy Song(=わんちゃんのうた)』(※3)をもう一度聴いてみよう。

"Dreams are nothing more than wishes
And a wish's just a dream you wish to come true."

「夢は願いごとでしかないし、願いごとは祈るだけの夢」。
えっと…もしかして、こっちのほうが厳しい?

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※1:『恋人たちの予感』は脚本のみ。

※2:キャスリーンの恋人、フランク(G・キニア)のむっつりナルシシスト芸もこのへんをイジワルに補強。

※3:ちなみにこの曲、あのポール・マッカートニーの依頼で書かれた曲なのさ。知ってたかい?(即死コンボ1段目)