命の鼓動は、リズムを刻み鳴り続けているだろうか。
AIDSやHIVというものを世間はどう捉えているのだろうか。
対岸の火事では近年済まされないこの問題について140分少々向き合う時間を持ってみてはいかがだろうか。
この作品は1990年代初頭のフランスを舞台にACT UPという実在の団体の発足メンバーでもあるショーンと新入りのナタンを通して世界に変革を求めながらも懸命に生きた人達のドラマである。
HIVの進行を止める薬のお陰で死に直結するリスクは軽減してきているが実際に完治するまで様な特効薬も無ければ彼等に対する偏見は減らない。
そんな現在より遡ること約20数年前の活動が如何に熾烈なものだったか、これを見れば今の私達にも推し量ることができる。
そして、それは彼らのディスカッションの迫力が私達をその渦中に引きずり込むことに成功しておりさながら自分達も"共有"することができる。
映画の構成はそのディスカッションと抗議活動、活動家達の生活、主役2人のラブストーリー、そして闘病生活となっているのだが、最初こそ討議と抗議の繰り返しに退屈を覚えるかもしれないが寧ろそれは意図的に思えた。
監督はそこに薄っすらと感じるマンネリ感も伝えたかったに違いない。
それはまさに突き動かしたくても動かせないもの、と言ったらいいのだろうか。
彼らは何に怒り狂っているのか、募りだす閉塞感や不安や怒りの描き方が繰り返される事で見る側にメッセージや心象を明確にさせており秀逸であった。(とりわけ作品中ではショーンとナタンがその担い手、語り手となってストーリーにその意味を持たせていた様に思う)
だから映画に説得力を感じれたのは彼らの焦燥感や怒りの本質のそれが的確に表現されていたから。
パレードのシーン(とりわけショーンが死に向き合い出したところは印象的)クラブのシーン(ダンスがもたらす生と性)、論議、抗議活動と様々な観点で鋭く時間を進むごとに突きつけてくる。
またこれらとは少し逸れるがまだショーンが元気な時期に抗議活動を終え帰路の途中を描くシーンではまるで当事者達のようなリアルな感覚と切なさが胸を締めつける。
命の有限。
毎日の価値。
脚本にはエイズの影響や運動家達のリアルな姿と共に素晴らしい命のやり取りが垣間見れた。
その中でも私はショーンとナタンのやり取りの中で好きなシーンがいくつかあるのだが特にこの作品をラブストーリーと同格に引き上げたと感銘を受けたシーンがある。
末期で肉体に生の力すら失いつつあるショーンが運び込まれた病院でナタンが手淫でもって2人の絆、愛を確かめるシーンは単なる溜まった性欲を吐き出す様なエロスとは違い、美しい命の"鼓動"を見た気がする。
射精し、垂れる精液には何か生きる事の難しさや儚さを感じずにはいられなかった(後半の闘病生活はまさにリアルでそれだけでも心をざわつかせ、見るに値する事を証明している)
最初はカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得したという割りにはしっくりこない違和感があったけどこの映画が放つテンポもビートも良くて最後には引き込まれていた。
しっかり向き合える作品だと思うのでぜひ見て欲しい。