BPM ビート・パー・ミニットの作品情報・感想・評価・動画配信

「BPM ビート・パー・ミニット」に投稿された感想・評価

90年代のフランスで製薬会社や差別と戦ったACT UPを描いていく実話を基にした映画
初っ端から製薬会社に乗り込んで血糊で抗議していくシーンから団体の行動の大胆さに驚いた
エイズ感染者を見る人の偏見、警察ですら手袋をして極力触れないようにする仕草などロバン・カンピヨ監督の実体験が入ってるためとてもリアルで冷淡な描写が印象的
津次郎

津次郎の感想・評価

3.0
男どうしの性愛シーンがすきじゃない。正直言ってブロークバック~でもゴッズオウンカントリーでも君の名前で~でもそれを感じた。

それらが名画であることに異存はない。

Aケシシュ監督のアデル~(2013)には、アデル・エグザルホプロスとレア・セドゥの濃厚な性愛シーンがある。が、ぜんぜんイヤではなかった。女どうしなら大丈夫なのだ。

でも男どうしのばあい、生理的嫌悪というほどのことじゃないが、なんとなく・・・。

──偏見だろうか。

本作BPMにも男どうしの性愛描写がある。見たことないほど露骨だった。局部は出ないが、けっこう長いあなるせっくすの描写がある。

ゲイをあつかうコンテンツが性愛と密着しているのはなぜだろう──。と思うことがある。

男女の愛と、男男の愛と、女女の愛は、同質のもの──と見るならば、男女の愛のように、性描写のあつかいは慎重でなければならないと思う。

言っていることが伝わるかわからないが、男女の愛をあつかった映画で、かならず性描写がでてくるわけではない。

ラブストーリーに性描写が出てくるのは、それを目的としているばあいとか、大人向けとか、性描写に必然性があるときとか、旧弊な日本映画で女優を脱皮させたい──とか、等々の狙いがあるときに限る。

しかしゲイの映画ではわりとふつうに性愛シーンがでてくる。

このギモンはハッテン場にも言える。男男間では恋愛が省かれていきなり性愛にいたる──それがじぶんが知っているハッテン場の構造である。ゲイ映画でも、似たような気配を感じてしまう。──のだ。

この映画はHIV活動家たちの熱さと青さと、陽性者の死の恐怖をとらえていて躍動的で見応えがある。

が、情交シーンもさることながら、性の気配がつきまとう。ここに出演している男たちは、つねに愛をささやきあい、つねに欲情している気配があった。その気配が個人的には困った。

ところで、さいきん(2022/05)の海外ニュースで、本作にも出演しているアデル・エネルの引退のインタビュー記事をみた。
引退といってもマイルドな感じで、演劇には関わり、映画もまた出るかもしれない──と言っていた。

記事によるとアデル・エネルが引退を決意したのは、(フランスの)映画業界が『資本主義的、家父長制的、人種差別的、性差別的な構造的不平等の世界を擁護している』から、であり『私は内側から変えようとしたが、もうその一部にはなりたくないのです』と一種の諦観を述べていた。

さいきん日本でも榊英雄や園子温や河瀬直美などのセク/パワハラ報道があった。
エネルのインタビューをみるかぎり、フランス映画界にもそのような縦構造があると感じられた。
しかし日本にはそれを告発して引退するエネルのような俳優はいないだろう。

『2020年2月28日(セザール賞授賞式にて)、かつて13歳のSamantha Geimerをレイプした罪で有罪判決を受けたロマン・ポランスキーが『An Officer and a Spy』で監督賞を受賞した後、エネルはCéline Sciamma、Noemie Merlant、Aïssa Maïgaとともに第45回セザール賞授賞式から立ち去りました。エネルは退場する際、拳を振りながら「恥だ!」と叫び「ブラボー、小児性愛!」と叫びながら、皮肉っぽく拍手する姿が撮影された。』
(Adèle Haenelのwikiより)

アデルエネルはそんな熱い人だった。
一方、天然な感じもあるひとだった。
わたしは昔、ダルデンヌ兄弟の「午後8時の訪問者」(2016)のレビューにこう書いた。

『youtubeに遍在している彼女のインタビュー動画を見たことがある。
演技上にない素のアデルエネルは、見たこともないほど天然な感じの人である。

対談や会見の最中、彼女は、絶え間なくキョロつく。
眼球と頭がつねに動いて、意識が散漫にほかへ移る。まるで動画にでてくる赤ん坊のように、たえずどこか/なにかを触り、忙しなく好奇心の方向が変わる。
その一方で熱く語ったりもする。

その、素のファンキーな感じがクリステンスチュワート以上なのであって、とうぜん、そんな人はおらず、まして女優ならなおさらである。
ゆえに、もしアデルエネルがこの天然のまま映画に収まったら──と思うほど魅力的な「素」だが、ただし、あまりに動きが止まらないので、トゥレットとか多動性とかの障害を思わせもする。』

アデル・エネルの天然はすごい。この天然を映画で見ることができればと思っていたから、引退報道はざんねんだった。(ひょっとしたらすぐ復帰するのかもしれないが・・・)

なんにもない日本映画界ほどではないが、仏映画界もトリュフォーがいた時代との比較でずっと低迷を言われている。
それゆえエネルのような人さえ代表作が限られてしまう。(だとしても「いい映画」がまったく一つもない日本の俳優よりずっとましだが)
エネルには午後8時の訪問者もPortrait of a Lady on Fire(2019)もあるが、もっと見たい人だった。

MeToo告発は今も世界の潮流である。今後も続くだろう。
ただし日本国内での告発は、海外のそれとポジションがぜんぜん違う。

海外のばあい実力者が告発されることが多い。
前述したポランスキーの件。ポランスキーはじっさい犯罪者だと思う。しかし、ポランスキーの映画はすごい。反撥/袋小路/ローズマリー~/チャイナタウン/テナント/テス/オリバーツイスト・・・。それとこれとは別だと言いたくなってしまうほどの天才だ。

養子にたいする何年も前のわいせつで告発されたウディアレンもかつてのような映画製作ができなくなっている。
さいきん(2022/05)の海外ニュースでは007のフクナガ監督にたいするセクハラ告発があった。

実力ある者だらけの海外の告発にくらべて、日本の告発は非才なクリエイターたいするもの──と個人的には感じている。

ようするに、とるにたりないクリエイターが告発される。

わたしは榊英雄や園子温や河瀬直美が告発されても「それとこれとは別だ」と言いたくならない。

さいきん別のパワハラニュースがあった。

『2022年、映画業界におけるハラスメント行為への告発が相次ぐ中、小林が監督、脚本、撮影、編集自ら行った作品である「ヘドローバ」のメイキング映像の中で、大人による少年への暴行が行われるシーンで、殴られる部分は演技ではなく、実際に、当時中学生であった子役の少年を、元プロ格闘家の大人が本気で繰り返し顔面を殴打していると報じられた。殴られた子役の少年は泣きながら嘔吐し「とにかくヤバかったです。いろいろ」「死にそうでした」と発言していたが、小林勇貴は「恐ろしいものが撮れてしまいましたが、そうですね、でもすごい良かったです。児童虐待、撮りました」と笑顔でコメントしていた。これらがネットを中心に多数の批判を呼び、問題になっていることを受け、小林が原案として参加している同年公開予定の「激怒」のプロデューサーは、小林の名前をクレジットから外したことを発表した。』
(ウィキペディア、小林勇貴より)

個人的に思うのは、どうでもいいクリエイターのパワハラをニュースにするなってこと。

この小林という人のやったことに問題があったなら刑事なり民事なりにすればいいのであって、凡人をニュースにしてはいけない。つまりどうでもいいようなアングラ映画をつくっている無能なクリエイターのやったことを全国ニュースにしてはいけない。と個人的には思っている。

日本は人の創造物を認めることを是とする。
だが日本映画がつまんないのは基本的にその寛容が元凶に他ならない。
日本のMeToo運動が海外と異なるのもその点。

セク/パワハラの告発とはいっぱんに権力や人望があり世間に才能を認められている者が裏でやったことを暴露することにある。

もとから人望がなかったり、誰も知らない作品をつくっていたり、非才なら、それは告発と言うより、たんに素地が露呈しただけのこと。
やっぱりね、──でお終いである。

話が逸れたが、本作BPMはシリアスな主題を背負っている。演出もいい。HIVでも終末のほうのステージを扱っている。つらい。が、前述のとおり性的で男どうしが愛をささやき合う。かなり扇情的。けっこう困った。
ラユム

ラユムの感想・評価

3.7
ドキュメンタリーさながらの作品。活動は団体に所属してた監督の体験に基づいてるとか。前半はとにかく団体の活動が勢力的で圧倒される。後半はガラリと変わって闘病生活へ。活発に活動してても病変し余命が見えてくることにより今までの活動も人生も変わって見えてくるショーン。カポジ、CD4数、クリプトスポリジウムなど調べながらの視聴。
一人旅

一人旅の感想・評価

4.0
第70回カンヌ国際映画祭グランプリ。
ロバン・カンピヨ監督作。

1990年代初頭のパリを舞台に、活動団体「ACT UP-Paris」に所属するHIV感染者達の社会との闘いを描いた青春ドラマ。

実際に「ACT UP-Paris」のメンバーとして活動していたロバン・カンピヨ監督が自身の実体験に着想を得て製作した“社会派+恋愛ドラマ”の力作で、HIVに感染した若者達の社会との闘いと刹那的な同性恋愛の顛末を儚くも力強く謳い上げています。

同じフランス映画『野性の夜に』(1992)同様、HIVに罹患した若者の生き様に焦点を当てた作品ですが、本作はHIV・AIDSに対する社会の認知と理解がまだまだ低かった1990年代初頭のフランス・パリにおいて、1989年に発足したHIV感染者達から構成される活動団体「ACT UP-Paris」の中核的メンバーである主人公:ショーンを始めとした若者達の、社会からの偏見と差別、薬剤開発の成果を一向に公表しない製薬会社に対するデモ運動や過激な抗議活動、そして新たにメンバーに加わった非感染者の青年:ナタンと主人公の同性恋愛の顛末をドキュメンタリータッチに描き出しています。

『野性の夜に』がHIV感染者の男と女の愛を主題に描写していたのに対し、本作は『フィラデルフィア』(1993)と同じように「HIV感染者vs社会」の対立構図が中心となります。毎週1回の定例ミーティングで、HIV・AIDSを巡る様々な問題を議題として提示し、全員の多数決により今後の処理方針を正式に確定、製薬会社への抗議活動やゲイ・パレードへの参加等実際に行動を起こしてゆく「ACT UP-Paris」のメンバー達の組織的闘いの様子が活写されています。その一方で、映画の後半では、AIDSの症状がみるみる顕在化、衰弱の一途を辿ってゆく主人公と彼を献身的に支える恋人:ナタンの“個人的”な生へのもがきと迫り来る死への恐怖、そして両者の強固な愛情の顛末が切迫した状況の中に映し出されていきます。

本作はHIV感染者に救いの手を差し伸べない非情な社会に対する若者達のエネルギッシュな闘いを描き出すと同時に、AIDS発症によって確実に死へと向かってゆく一個人の悲痛な叫びを克明に捉えることで、90年代初頭におけるHIV・AIDSの実際を多面的に浮かび上がらせています。男性同士の性交渉をしっかり描き込んでいる点にも、真実性を追求するカンピヨ監督の気概が伝わってくる力作であります。
むーん

むーんの感想・評価

5.0
終始涙が止まらんかった。
ドキュメンタリーみたいだった。
共感できるかどうかじゃなくて
聞く耳を持てるかどうかだよね。
HIV患者への社会的差別に抵抗する実在する団体についての映画。舞台を90年代に設定したため、エイズが死病だった時代の、切迫感、絶望感は深刻だ。レジスタンス活動家が戦いの果てに死んでいく「灰とダイヤモンド」ばりの展開。で、映画が本当に訴えたいのは90年代のオハナシではなく、現在のLGBTQアクティビストの肯定であり、ここ10年ばかりで先鋭化してきたダーバーシティ的社会変革の肯定だ。その為には多少行き過ぎた行為があっても大目に見てねと、多少プロパガンダが匂う。
好意的に解釈すると、利権ビジネスの手駒として踊らされた若者たちの愚かしさまで描いていると読めなくもない。前後の脈絡もなく何故か4度もインサートされるダンスシーンが「踊らされる若者」を象徴しているのだとしたら、たいしたもんだが。映画のラストもダンスシーンで終わるからね。
べん

べんの感想・評価

2.0
早稲田松竹にて。血管を流れる血液のような街の俯瞰ロングショット。主演の熱演も良い。
ひで

ひでの感想・評価

3.9
エイズをテーマとした作品
常に暗い雰囲気
昔何故かこの映画を、元カノに誘われて下調べもせず急に初めて訪れる映画館のレイトショーで観て、そのシチュエーションも含め印象的だった なんで元カノはこの映画を観たがったんやろ…
Saku

Sakuの感想・評価

3.6
死が迫る、生きる為に諦めない、出来る事をやる、自分達の存在を知ってもらう為の過激な行動

最後の終わり方が印象的
chi

chiの感想・評価

3.4
沈黙は死。知識は武器。

エイズについて自分は全然知らないなと気づく。この団体の活動内容全てを肯定的に捉えることはできないが、活動しなければ現状は何も変わらない。議論のシーンが好きだった。もっと知ろう。もっと議論をしよう。そうすれば世界は良くなるかもしれない。
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