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ラッキーの3110136のネタバレレビュー・内容・結末

ラッキー(2017年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

若造の私にはまだ分からない系。


ゆっくりと、でも確実に時間が流れていく。毎日同じようで、少しずつ変化している。形のあるものはいつかは無になり、それは残酷なことでもなんでもなく、宇宙の真理である──。

と分かったような事を書いてもしょうがないので、今の自分には難しかった映画であることを正直に記しておこう。そしていつの日かまた観ることになるだろう。90歳になったらまた観よう。

ハイライトは、ビビの息子の誕生日に招待されたラッキーが、いきなり歌を歌うところかな。今だに頭の中に流れている。後は家に様子見に来てくれたカフェの店員さんとマリファナを吸うところ。「怖いんだ」の告白。あそこも感じるものがあった。


全体的に穏やかな空気が流れる良い映画でした。テーマは《死》ではありますが、殺伐とした感じはないです。ラッキーの口の悪さも良いです。

ちなみにラッキー役のハリー・ディーン・スタントンさんは1926年生まれだそうで、この映画が2017年の映画なので少し前に撮影していたとして、当時90歳くらい。すごい役者さんですね。当然私にはまだ分からんわ。


●あらすじ+α
90歳になるラッキーは一人暮らしをしている。そして彼は毎日決まった行動をしていた。決まった時間に起床し、タバコを吸い、運動をし、ミルクを飲み、何着も持っている同じ服に着替え、いつのもカフェへ向かう。そしてカフェではいつもコーヒーを飲みタバコを吸おうとして店主のジョーに「健康のためにやめろ」と言われ、それでもタバコを吸い、クロスワードパズルに取り組む。カフェの帰り道、いつもの角で知り合いのピックアップトラックとすれ違いざまに挨拶を交わし、いつもの場所で「クソ女ども」と叫び、ビビのお店でミルクとタバコを買う。一旦家に帰ると、好きなクイズ番組を見ながらコーヒーを飲み、再びクロスワードパズルに取り組む。毎日電話をかけ、クロスワードパズルの話をする。そして夜は行きつけのバーへ行き、いつもと同じ酒を頼み、顔馴染みと会話を楽しむ。

もうこの生活を始めてどのくらい経つのだろうか。これまでも、そしてこれからもずっと続いていく。

ところが、ある日ラッキーは目眩を感じ倒れてしまう。「病気なのか」と不安に駆られるラッキー。しかしドクターは「原因は加齢」だという。「自分に限ってそんなはずは」と初めは受け入れる事が出来ない。

しかし、今回の事をきっかけに、周りで起きている小さな変化が見えるようになる。そしてそれは自分の変化でもある。いや、実はその変化も今に始まった事ではないのかもしれない。それに気づかないふりをしていたのかもしれない。

ハワードの相棒のリクガメ・ルーズベルトが逃げ出したり、いつもの帰り道の空き缶を蹴ってみたり、ペットショップに寄ってコオロギを買ってみたり、いつもは行くことのないクラブに行ってみたり、兵役時代の話をしてみたり、今まで設定していなかったコーヒーマシンの時間をセットしてみたり、ビビの息子の誕生会に出向いてみたり、カフェに行かず水やりをしてみたり、いつもの公園が閉園していたり…、意識的に生活を少しずつ変えてみた。

そして《変化》を、そして近い将来確実に訪れる《自らの死》を、ラッキーはゆっくりと受け入れていった。


●所感
実は《変わらない》事に対するある種の《憧れ》が私にはあって、毎日お気に入りの服を着て、お気に入りの店でお気に入りのランチをして…、といったルーティンが出来たら素晴らしいのに、と少し思う事があります。そこには《変化》が入り込む余地はない。実際にはあり得ないけど。

「角を曲がると 世界は新しい」

映画に出てきた言葉ではありません。私が好きな言葉の1つで、ちょっとの《変化》が大きな《変化》をもたらす、そういう意味と捉えています。その言葉を思い出しました。

─クロスワードパズルのキーワード─
・現実主義(リアリズム)
状況をありのまま受け入れる姿勢や行動と、ありのままの状況に対処する心構え
人や物の状況の本質や実状を、正確に実物どおりに描写すること

ラッキーは《現実》を見つめ出す。

映画の中で「NOTHING(ないもない)」「ウンガッツ(無)」というキーワードが何度も登場します。

妻子のないラッキーは《死》が怖かったのだろうか。何も持たない人生。生きた証がないような気がしていた。でも、いろいろな人生があり、すべて最後は《無》に帰す。そこには《無》しかない。

─最後のバーでの会話─
「真実は物なんだろ」
「ああ 真実は実体のある物だ
真実は自分が何者で何をするかであり
それに向き合い受け入れることだ
宇宙の真理が待っているから
俺たち全員にとっての真理だ
つまり すべては なくなるってこと
君もお前もあんたも俺も タバコも何もかも
真っ暗な空へ
管理者などいない
そこにあるのは 無(ウンガッツ)だけ
空だよ 無あるのみ」
「無なら?どうする?」

「微笑むのさ」

私は《死》が怖いです。まだまだ死ねない。明日死んでも後悔しないような人生は送れていません。でもいつかこのラッキーの様に《死》を受け入れる事ができるんでしょうか。まだ全然想像ができない。


●ここが知りたい
①ラッキーの電話の相手は誰?
妻も子供もいないラッキーは誰と話していたのか?知り合い?それとも、実は昔別れた妻がいたのかな?

②イブの園の意味
ラッキーがいつも「クソ女」と声を掛けていたイブの園はいったいどういう意味で出てきたのか?最後は閉園だし、皆さんどういう解釈でしょうか。


でも、こういう余白がある映画は良い映画、と思っています。いろいろ考える事が大切だと思っています。
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